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第173回 ミャンマーの発展の可能性 伊藤努

第173回 ミャンマーの発展の可能性 伊藤努

第173回 ミャンマーの発展の可能性

軍政時代が長かったミャンマー(ビルマ)の新政権が民主化路線に舵を切ったことで、日本をはじめ周辺国などの間でミャンマーへの投資熱が高まりつつある。6000万を超える人口に加え、豊富な天然・鉱物資源や教育レベルの高さ、周辺国に比べ低廉な労働コストなど、経済発展の潜在力が高いのは確かだが、その一方で、劣悪な産業インフラや未整備の法制度、工業化の決定的な遅れなど、克服すべき課題は山積している。20年ほど前まで、ミャンマーは「アジアの秘境」の形容詞が冠されていたが、民主化路線を歩み始めた今も、この国に関する情報は少なく、最近のミャンマーへの投資熱も「秘境」に対する関心の延長線上にあるように思われる。

ミャンマーは軍事政権時代に、首都をヤンゴン(旧ラングーン)から内陸のネピドーに移したが、遷都の理由もいまだはっきりとは説明されていない。この国は占いが盛んだが、一説には遷都は当時の最高指導者が占いに凝っていて、占いの結果で決めたともささやかれている。

バンコクに駐在していた1990年代後半、取材でよくヤンゴンに出張したが、日本の中古車が市内を走り回り、中心部こそ商店街などのにぎわいがあるものの、産業の発展をうかがわせるものにはほとんどお目にかからなかった。当時、日本の大手証券会社がヤンゴンに駐在員事務所を開設していたので、訪ねてみると、仕事はほとんどないようで、事務所は開店休業状態だった。先行投資でミャンマーの首都に事務所を構えたのだろうが、開店休業状態はその後の政治混乱もあり、長く続いたに違いない。

ミャンマーの工場を見学してみたかったので、ベテランのジャーナリストで現地助手のMさんに案内してもらい、ヤンゴン郊外の菓子メーカーを視察できたが、あまりに老朽化した機械で菓子を製造しているので、驚いたことがある。軍政やそれに先立つネ・ウィン政権時代の社会主義計画経済の名残かと直感したものである。

バンコクに駐在する大手商社の大先輩に聞いたところでは、タイと当時のビルマは1960年代までは、経済発展のペースはビルマが先行し、首都のにぎわいもバンコクよりはラングーンの方があったという。このため、進出日本企業の駐在員はバンコクからラングーンに食料の買い出しに行っていたそうだ。

このエピソードから分かるのは、国や政権、指導者の国家運営や経済政策の良し悪しによって、国の発展、国民の生活水準には大きな差ができてしまうということだ。

現在、ミャンマー政府の舵取りを任されたテイン・セイン大統領らはようやく、これまでの内外政策の非を暗に認め、民主化による外資の積極的誘致、経済発展の本格的取り組みに踏み切った。民主化運動指導者で野党を率いるアウン・サン・スー・チーさんも、政治的自由、人権の保障ととともに国民の生活向上を公約に掲げる。政府、野党勢力が合意できる分野では一致した取り組みをすれば、他の東南アジア諸国連合(ASEAN)各国にいずれ追いつくこともできるかもしれない。

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