1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 第104回 危険な取材とアジア報道 直井謙二

記事・コラム一覧

第104回 危険な取材とアジア報道 直井謙二

第104回 危険な取材とアジア報道 直井謙二

第104回 危険な取材とアジア報道

筆者がテレビ局の記者、特派員として携わった18年間のアジア報道の間に、何度か危険を感じたことがあるが、今、振り返れば滑稽だ。

1986年2月、当時のフィリピンのマルコス大統領が祖国から追い出されたクーデターで軍が2つに割れ、アキノ派のテレビ放送を止めようと、テレビ塔によじ登ったマルコス派の兵士と軍用ヘリに乗ったアキノ派の兵士が目の前で銃撃戦を繰り広げた。

軍用ヘリは急旋回をしながら機関銃を撃つのだが、どこに向かって撃っているのか分からない。恐怖におびえ、逃げ回ったが、兵士同士の銃撃戦なので、市民を撃つはずがないのだ。

それから4カ月後、インドネシアのジャカルタで日本赤軍が日本と米国の大使館やカナダ大使館を爆破する事件が起きた。日本大使館への攻撃は大使館の向かい側にあった日系のホテルから手製のロケットを発射した。

地元のカメラクルーを雇い、日本大使館関係の取材を終え、地元の放送局から東京に衛星中継しようとしたら、インドネシア政府のセンサーが稼働していて中継できなかった。早く取材を終え、シンガポールに出て送ろうと考え、最後のカナダ大使館の建物を撮影していた時、警察に捕まった。厳しい取り締まりを受けたが、インドネシアを経済援助している日本のパスポートが意外な効力を発揮し、間もなく釈放された。

取材テープは取り上げられたが、もう一度取材をやり直し、急いでシンガポールに出るため、カメラクルーにチャーター料を払っている時だった。インドネシア人のカメラマンは、事件当時のまだ火が燃えている映像があると言う。映像を買い、シンガポールから東京に伝送したが、放送に使われたのは警察に拘束されてまで取材した映像ではなく、買った映像だった。

1990年代初めに泰緬鉄道の取材をした。第2次大戦中に日本軍が敷設した軍用鉄道で、観光用に残された一部を除き、ジャングルの中にわずかに砂利や枕木などの痕跡を残しているだけだ。

タイとビルマ(ミャンマー)の国境になっているスリーパゴダ付近(写真)には当時、少数民族のモン族が住んでいて、1キロぐらいはビルマ領に入れたと思い込み、国境を越えた。

第168回 直井.jpg

突然、背後からビルマの正規軍に機関銃を突きつけられ、足がすくんだ。タイとビルマの国境にある入国管理事務所まで手を上げて歩かされ、タイ側に押し出された。地元のタイ人に聞いたところ、3カ月前にビルマの正規軍がモン族を掃討したという。

危険な取材体験は、振り返れば懐かしいが、ちょっとした準備と思慮があれば避けられることも多い。


写真1:タイとビルマ(ミャンマー)の国境になっているスリーパゴダ付近

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》次回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》の記事一覧

 

タグ

全部見る