第74回 タイのセーフティーネット 直井謙二
第74回 タイのセーフティーネット
日本より経済的に恵まれないタイは、政治的にも不安定で、さぞかし貧しい人たちは追い込まれていると考えがちだ。事実、雇用保険や健康保険、さらに個人的にかける保険は日本と比較にならないほど劣悪だ。にもかかわらず、自殺者は日本より圧倒的に少ない。
1997年7月、タイの通貨バーツの暴落をきっかけに始まったアジア通貨危機は、たちまち東南アジア全域に広がった。金融機関の破たん、不動産価格の暴落、それに大量解雇が庶民生活を襲った。原稿は崩壊した経済指標で埋め尽くされる。
ところがテレビニュース用の映像が伴わない。タイは「微笑みの国」と言われるが、町行く人の表情は相変わらず明るいし、銀行などの金融機関の従業員は笑顔を絶やさない。
町に出ても、炊き出しに並ぶ人もいないし、テント村もない。
貧しい東北タイなどからに首都バンコクなどに出稼ぎに出ていた人たちは国に帰った。もともと貧しいから都会に出てきたのに、故郷に帰ってどうするのだろうと東北タイや北部タイを取材してみた。そこではタイ独特のセーフティーネットが機能していた。
上座部仏教の国タイでは、寺は福祉と教育の役割を果たしている。僧侶は早朝の托鉢を毎日欠かさない。朝5時ごろ寺を出て、2時間ほど村を歩く。村人は朝食や日用品を用意して僧侶が回ってくるのを待つ。
僧侶に食事を食べてもらい、日用品を受け取ってももらうことで徳を積み、来世の幸せもつかめると信じている。
僧侶は自分のために供物を受け取るわけではなく、村人のために受け取る。従って、僧侶が袈裟の中に供物を納めると、村人が感謝の気持ちを表す。(写真) 寺に戻ると、僧侶の朝食が始まる。

食べそこなうことのないように平等に食べなくてはならない。おかずやご飯を少しずつ集め、よくかき混ぜて食べる。せっかくの食事が台無しだが、楽しむためではなく、あくまで村人に徳を積ませるための食事だ。
僧侶は戒律により午前中しか食事をしない。村人が心を込めて納めた大量の食事や日用品は、僧侶だけではとても消費できない。
心を病んだ人、貧しくて食べていけない人、さらに捨てられた動物を救うのは寺の役目だ。誰でも寺院で食事をし、寝泊まりすることができる。
寺の掃除をし、僧侶の托鉢の手伝いなどをして過ごし、説教を聞き、落ち着いたら寺を出る。来る者拒まず、去る者追わず、だ。
景気が良くなって稼げるようになるまで寺で暮らす人も少なくない。
写真:朝の祈り
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