第504回 謎だらけのバーンチェン遺跡 直井謙二
第504回 謎だらけのバーンチェン遺跡
東北タイのラオス国境に近いバーンチェン遺跡を訪ねたのは30年ほど前のことだ。あらかじめ知識があったわけでもなく偶然に訪れた。遺跡には縞模様の付いた壺や皿が転がっていた。(写真)タイ人の遺跡の管理者は紀元前数千年前の遺跡であり、中国の黄河遺跡より古いという。タイの歴史が中国より古いことを証明するものだと断言する。世界4大文明の一つ黄河中流域の遺跡より古いと言われ頭が混乱した。
現場から早稲田大学の考古学者故桜井清彦教授に電話を掛けた。桜井教授はエジプトや中国など幅広く研究を進める日本の考古学を代表する一人だ。「桜井先生、いまバーンチェンの遺跡を見学中で質問があります」と問いかけると教授は「そうですか。バーンチェンに行ってしまいましたか。できれば行かないほうが良かった」と奇妙な答えが返ってきた。
桜井教授によればバーンチェンの遺跡の位置づけは難しく、流動的で出土品に疑問を持つ学者は少なくないという。難しい研究過程にある遺跡を素人の筆者に分かりやすく説明するのは困難で混乱するだけだという配慮があったと想像した。
タイ族は元々中国・雲南省あたりに暮らしていた山岳少数民族だった。現在も中国の山岳部などにはタイ族が生活していて一部はタイ人と会話ができる。タイ族の一部が山を下りインドシナ半島の大河、チャオプラヤ川沿いに南下したのは11世紀から12世紀世紀といわれている。南下を妨げていたのはマラリアでインドシナ半島に先住していたクメール人とモン族は長い歴史の中でマラリアに対する抗体を身に着けたが、タイ人には抗体がなかったためといわれている。
それでも南下した理由には様々な説があるが、元を成立させたモンゴル軍の圧迫という説もある。肥沃なチャオプラヤ川がイネを育て人口増え国力が増してアンコール王朝の支配を脱却、タイの最初の国であるスコータイが13世紀に成立した。
タイ人管理者の愛国心は理解できるが、バーンチェンはタイ有史以前の遺跡だ。バーンチェン遺跡の研究が進み現在では紀元前3000年から2000年の物と推測され、黄河文明よりは新しいものの東南アジアの独自の文明として注目を浴びている。遺跡は以前から村人にも知られていたが、地元の教師が歴史的な遺跡ではないかと思いつきタイの文部省の発掘に結び付いたという。その後ユネスコの文化遺産に指定された。バーンチェン遺跡研究がさらに進むことを祈りたい。
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