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中国で人気抜群のお笑い芸人郭徳綱の孤軍奮闘 (中) 戸張東夫

中国で人気抜群のお笑い芸人郭徳綱の孤軍奮闘 (中) 戸張東夫

<中国で人気抜群のお笑い芸人郭徳綱の孤軍奮闘>

伝統相声は時代遅れで聴くファンはいないといわれたが、郭は自分の経験からそんなことはないと考えていた。中国では相声を聴くためにわざわざ劇場に足を運び入場料を払うという習慣はなかった。相声はラジオやテレビを通じて聴くものと考えられていたのである。だが伝統相声の場合ひとつの演目にしても四、五十分は必要だ。時間的制約の厳しいテレビではとても演じられない。それに相声は劇場でナマで、観客の前で、観客と一体となって語るところに味わいがある。郭はそう考えていた。


 

そこで郭は芸人仲間に声をかけて「北京相声大会」というグループを結成、資金を出し合って北京の劇場を借りて伝統相声公演会を週に一回開く実験を始めた。いろいろな事情からたびたび劇場を変えなければならなかった。いずれも客席二百前後の小劇場だった。この劇場相声運動は断続的に七年続き、伝統相声を劇場で聴くというスタイルもファンの間で定着した。郭の実験の大きな成果であった。その後郭は以前「北京相声大会」の会場として借りたこともある天橋楽茶園を買い取り、「北京相声大会」を組織替えして相声集団「徳雲社」を結成した。

「相声は九十年代には低迷したが、二十一世紀に入ってようやく活発になってきた。北京徳雲社が主導する劇場相声活動はファンや社会の強い関心を集めている。長い間伝統相声を聴くことのできなかった今日のファンたちも、伝統相声の面白さに改めて気がついた、といったところである」

中国で最も権威のある中国共産党中央機関紙『人民日報』は2009年7月10日文化面で相声特集を組んだが、そのなかで「徳雲社」の活動をこのように高く評価したのである。

<中国相声はエンターテインメントである>

郭はさらに相声界主流にも矛先を向け、これまでの相声に対する意見や批判を遠慮なくぶつけ、相声界を揺さぶった。相声界は自分たちの相声だけでなく自分たちの権威やプライドを守るためにも郭に対して厳しい態度をとり、郭に反論し、郭を厳しく批判、攻撃した。郭はこうした相声界主流批判をしばしば自分の相声のなかで語ったが、これがファンの眼には相声界の権威、権力と果敢に闘う一匹狼と映ったらしい。カッコイイということで、これがまたファンの支持するところとなったようだ。あるいは郭はそんな効果を初めから期待していたのかも知れない。

郭の相声批判、主流派批判は以下の三つにまとめることができそうだ。

まず第一は伝統相声の再評価である。従来の相声界では新作相声が幅を利かせ伝統相声は影の薄い存在になっていた。これでは相声はファンにそっぽを向かれてしまうと郭は危機感を抱いている。伝統相声を無視し、必要無いと考えているものが多いという。伝統相声は先輩芸人たちが清末以来のこの百数十年間、練り上げてきた笑いの技術の結晶である。我々がいまどのようなギャグや笑い話、ジョークなどを考え出そうとも、それはすでに全て伝統相声に盛り込まれているといってもいいほどだ、と郭は言う。郭はまた相声芸人も京劇のような長期にわたる修業と学習が必要であると述べている。

相声はエンターテインメントである。それ以外のことを要求するな、というのが第二点である。郭はこんな言い方をしている。「清朝末期の芸人たちは何のために相声を語っていたのか、考えてもみてほしい。風刺のためか、教育のためか、それとも誰かを褒め称えるためか。そんなことのために語ったのではない。芸人は生活のために語り、観客は娯楽のために聴いたのである。我々の公演では娯楽性、つまり人々に楽しんでもらうことをもっと重視していく」

第三は当局のあれこれの規制や触れてはならないタブーが多すぎる、これでは何もいえない、という不満である。中国は共産党と政府が全てを管理し、国民が言っていいことも言ってはならないことも決めてしまうという。相声も例外ではありえまい。


写真1:満席に近い郭徳綱東京公演の会場。2017年6月24日東京国際フォーラムホールAで郭の初の東京公演が実現した。会場が広く観客が多いため後方の座席の観客には舞台がよく見えない。舞台の両脇に大きなスクリーンを掲げて映像で我慢してもらう。相声は中国漫才とわが国では訳されているが、会場の雰囲気は寄席より歌謡ショーを思わせた



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