習主席の権力弱体化は本当か-軍内関係者が拘束され、党内でも「個人崇拝」反対強まる 日暮高則

習主席の権力弱体化は本当か-軍内関係者が拘束され、党内でも「個人崇拝」反対強まる
今、ネットのSNSサイトを見ると、習近平中国国家主席の権力弱体化がささやかれている。いや、弱体化どころか失脚の可能性すら示唆するチェンネルもあるほどだ。習氏は最近でも東南アジア3カ国を歴訪し、その後はロシアにも赴き、プーチン大統領と握手をして盛んに外交の成果をアピールした。見た目は体力的にも、政治的にも健康そうなので、権力弱体化とは思えない。中国軍内を見ると、軍事委員会メンバーの苗華氏が昨年逮捕・拘束され、何衛東副主席も今春の全人代以降消息不明であるが、彼らはいずれも習近平氏子飼いの軍人たちである。習氏は長年の盟友である張又侠軍事委副主席との関係を悪化させたとうわさされる。中国では「銃口から権力が生まれる」と言われるくらいに、指導者は軍事的な力をバックに付けることが必要だが、最近の動きを見ると、習氏の武装力は弱体化しているように見受けられる。頼みの経済は依然デフレ傾向が収まらず、回復の兆しは見えない。となると、現政策に対する庶民の怨嗟は膨らみ、なるほど習近平体制への倦怠感が増しているようである。
<軍内の不穏な動き>
習近平主席の権力弱体化説が盛んに言われ始めたのは、昨年7月の第20期3中全会以降だ。この会議で、習氏は中風(脳卒中)状態を示したことが言われている。中央委員会など西側記者は取材できないし、確認のすべはない。しかし、350人以上の中央委員、中央委員候補が出席した会議の最中の不祥事であれば、人の口に戸は立てられない。今でもネット上でこの話が駆け巡っているということは真実に近いのであろう。その後の外国訪問などを見ていると、手足のマヒや言語障害などの症状は見られず、そういう症状が現れたとしても軽度であったと見られる。だが、政治家にとって病気露見は決定的なマイナス要因。本来なら習氏は2027年秋の党大会まで総書記、軍事委員会主席が続き、2028年春の全人代まで国家主席の任期があるのだが、党内の多くの幹部はこれを見て習主席の“中途退場”もあり得ると判断し、水面下で動き始めたのは間違いない。
習退陣を予想した動きがとりわけ顕著に見られたのが軍内だ。昨年11月に軍事委の有力メンバーである苗華政治工作部主任が連行、拘束された。そして、今年3月の全人代終了直後に何衛東軍事委副主席が連行されたようだ。一説には、全人代の会議に出た何氏が執務に戻ろうと軍事委が入る八・一大楼(ビル)前で車から降りたところ、軍の紀律検査委員会係官に身柄拘束され、連行されたという。苗華氏の拘束はすでに公表されているが、何副主席の去就については公式に明らかにされていない。だが、その後の軍の重要会議や政治局会議に出席していないところを見ると、失脚は事実のようだ。この2人はかつて福建省アモイに駐留する解放軍第31軍に所属していた。習主席も若きころアモイ副市長となり、その後も福建省の省都福州市書記や省長を歴任したので、2人との接点がある。言わば習氏の子飼いの軍人である。
2人の軍幹部の逮捕は第一副主席の張又侠氏の許可がない限りあり得ない。ちなみに、習近平氏は張又侠氏とも親しい関係にある。習氏の父親習仲勲元副総理と、張氏の父親張宗遜上将(元瀋陽軍区司令員)はかつて陝西省方面で抗日戦争を一緒に戦った仲間であり、紅二代の子ども同士は幼友だち。張氏の出世も習の力添えがあったことは間違いない。張氏は2022年の第20回党大会で、年齢的な問題から本来引退するべきところだったが、習主席が軍事委における自身の代理人とするべく熱心に引き留めたと言われる。それがどうしたことか、昨年秋以降、習氏の子飼いの軍幹部が相次いで拘束されたのだ。2人は決別したとしか考えられない。
2人の決別を決定的に示す光景が今年の全人代閉幕式で見られた。習氏が会議場から去ろうとした時に壇上の幹部全員が習氏の方を向いて拍手をして見送ったが、ただ一人張又侠氏だけは顔を正面にして、習には背を向けていた。これは習氏が絶対的な権力を持ち、周囲が忠誠心を持っているとしたら、あり得ないことだ。多くの人はこの光景で習氏と張氏の決別を感じ取ったことであろう。実際、張氏は軍事委紀律検査委の組織を使って習氏系軍人を次々に逮捕、拘束し始めた。昨年、苗華拘束の話が伝われると、王厚斌・ロケット軍司令員、王秀斌・南部戦区司令員、林向陽・東部戦区司令員の習系の3人は何衛東副主席のところに行き、庇護を求めたと言われる。だが、林向陽、王秀斌は今年3月24日、王厚斌氏はその翌日に拘束されたとの情報が伝わった。
ネット情報によれば、軍事委は今年4月17日、少将以上の幹部に向けて、「苗華と何衛東が反乱をもくろんで徒党を組んだ」との内部通知を出したという。「反乱」が何を意味するのは分からない。また、「苗華は1億元、何衛東は6000万元の不正蓄財がある」と汚職の観点からの指摘もあったという。中国では党政軍の重要幹部が失脚する時にはしばしば汚職、職権乱用が理由にされる。だが、蓄財は多くの幹部に共通しており、2人が取り立てて非難されるべきものでもない。要は、張又侠氏が軍事委の捜査執行機関である紀律検査委を掌握する一方、中南海(北京の党中央所在地)を警護する実働部隊である中央弁公庁中央警衛局警衛団や解放軍の北京衛戍区、武装警察部隊、さらには中部軍区の指揮権まですべて手中に収めているということであろう。習氏側近の王春寧武警司令官(上将)は今年3月更迭され、張氏に近い付文化中将に代わっている。
習主席夫人の彭麗媛女史は有名な軍所属の歌手で、解放軍少将の地位にある。彼女の持ち歌である「希望あふれる田野で」は中国で良く知られた歌曲だ。総政治部歌舞団長や軍芸術学院長を務めていたが、昨年6月、軍事委の「軍事委幹部考評委員会専職委員」というポストに就いた。これは軍高級幹部の人事を司るポストであり、軍事委メンバーと同レベルの大きな力を有する。実は、董軍氏は海軍司令員からいきなり国防部長に抜擢されたが、これは同じ山東省出身ということで、彭女史が強く推した人事とも言われている。だが、最近、彼女は専職委員のポストを降りたとの情報がある。加えて、ファーストレディーなのに、習主席の4月の東南アジア3国歴訪、5月のロシア訪問には同行していない。こうした動きは彭女史の地位低下を示すばかりでなく、夫の権力弱体化も暗示させる。
解放軍の主だった軍職に就く習系、苗華系、何衛東系の高官幹部が次々に逮捕、拘束されており、習近平氏が軍事委主席に就いてから「上将」にランクアップさせた79人のうち、その2割がすでに失脚していると報じられている。習氏が一番信頼していた幼馴染の張又侠氏が離反したのであれば、習氏の権力基盤はすでに砂上の楼閣なのであろう。習氏と同郷の陝西省出身で、軍内の習氏の代理人と言われた何宏軍・政治工作部常務副主任がこの5月中旬、自裁したと伝えられる。習氏は昨年7月、何氏一人のために上将ランク授与式を行うほどに信を置いていた子飼いの幹部。自殺の原因は不明だが、あるいは習主席の権力低下を察知し前途を悲観したのかも知れない。香港の親北京紙「サウスチャイナ・モーニングポスト」は一連の動きについて「軍幹部の汚職追放キャンペーンであり、習派の軍内勢力弱体化と見るべきでない」と指摘するが、習派が狙い撃ちにされていることは否定できない。
<「習核心」なくなった党中央>
習近平国家主席を支える幹部は、彼がかつていた場所、勤務地で身近にいた人ばかりである。例えば、第一期政権で紀律検査委員会書記として汚職追放のパートナーとなった王岐山氏は、習氏が陝西省の延安方面に下放した際知り合った仲間で、寒い部屋の中で同じ布団にくるまったこともあったという。最初の赴任地、河北省正定県の書記をしていた時に親しくしたのが隣の無極県書記だった栗戦書氏で、習氏は先輩の栗氏に教えを乞うていた。その縁で後年、党中央弁公庁主任、全人代常務委員長に引き上げられた。福建省時代には前述の31軍関係者のほか、党人として蔡奇氏(現書記局常務書記)、何立峰氏(現副総理)らと関わり、浙江省では李強氏(現総理)や陳敏爾氏(現天津市書記)、上海市書記時代は丁薛祥氏(現常務副総理)らと交わった。福建省の仲間は「閩江新軍」、浙江省幹部経験者は「之江新軍」と呼ばれ、習氏がトップに立った後も支えてきていた。
趙楽際・現全人代常務委員長は陝西省書記をしていた時、習氏の父親仲勲元副総理の墳墓を大々的に造成し、習主席の歓心を買ったことが知れられている。彼の引きで中央入りし、出世を図ってきた。その趙氏が今年3月11日の全人代、全国政協会議の閉幕式に出席しなかった。「感染症に感染した」というのが公式の理由なのだが、その直後の会議には出ている。最近、趙氏の青海省幹部時代の部下が次々に捜査対象となったことから、自分にも類が及ぶことを恐れて、早々に公職から退く意思を示したとも言われている。5月初めに政治局常務委員、全人代委員長の辞職を申し出たとの情報もあった。あるいは、自分と習主席との関係が深いことから、習主席の権力低下を察知して事前に予防行動に出たとも取れる。
ネット情報では、3月31日の党中央政治局会議では、注目される決議がなされたという。そこでは、①文革の大きな間違いを再認識する、②(改革・開放路線を明確にした)第11期3中全会からの流れを偉大な転換点として再認識する、③健全な民主集中制、法治国家、法治政府、法治社会を建設すべきである-が強調されている。そして、この決議には「習近平同志を核心とする党中央」という表現は出てこなかった。一か月後の4月30日の党中央政治局会議では注目される人事が行われた。石泰峰統一戦線工作部長(68)が組織部長になり、李幹傑組織部長(60)が統一戦線工作部長になった。言わば、党中央内の入れ替え人事である。
李幹傑氏が年若いのに党中央の最重要ポストである組織部長になったのは習主席の強い要望によるものだったと言われる。清華大学卒で、国務院環境保護部長、山東省書記を歴任してきた幹部。清華大で習主席のクラスメートだった陳希・国家行政学院院長(中央党校校長)の旧部下であり、習氏とも近い存在。要するに李氏を通じて習主席が党主要幹部の人事権を握りたかったのであろう。それに対し、石泰峰氏は李克強前総理と北京大学の同級生であり、共産主義青年団(共青団)系の幹部とも言われる。寧夏回族、内モンゴル自治区の書記、社会科学院院長を務めてきた。つまり、この入れ替え人事は、習系が握っていた人事権を反習系が奪い返したという見方もできる。
今年5月4日の「5・4運動記念日」のイベントは大々的に行われたもようである。5・4運動とは、日本が1915年に出した対華21カ条の要求に対し第一次世界大戦後のベルサイユ会議は一顧もしなかったことで、1919年、中国各地の学生、青年たちが怒り、反帝国主義のデモ行進をしたこと。これが抗日運動の始まりにもなった。習近平氏はこれまで5・4運動は青年の運動という印象から「共産主義青年団(共青団)」を持ち上げるキャンペーンと感じたのか、トーンダウンしてきたフシが見られる。だが、今年は大々的に論評が掲げられた。これも現在の政局を映す大きな示唆的な変化だ。
米系のネット情報によれば、党中央弁公庁は5月5日付で「極左思想が当面の工作を妨害することを防ぎ、克服することに関する通知」という「11号文件」を出したという。ここでは、「個人が組織の上に出てはいけない」として個人崇拝に反対、「経済を主体とし、闘争を発展に代えてはならない」と極左思想を批判している。文件の中に一切、「習近平」の名は出てこない。極左思想、個人崇拝批判は習近平批判とも見られる。何立峰副総理は5月11、12日にジュネーブでベッセント米財務長官と米中貿易交渉を行ったが、スイスのケラーズッター大統領とも会談した。何氏はこの際「中国指導者がよろしくと言っていました」と伝え、習近平主席の名前を出さなかった。一般にトップ同士のあいさつ交換の場合、個人名を出すのが通例だが、習氏の側近でもある何副総理が敢えて名を伏せたのは極めて不自然だ。ここでも習主席弱体化を暗示させた。
<庶民サイドでも習体制批判>
2020年、コロナウイルスで都市封鎖があった時に、外出できず不満がたまった一般庶民が白い紙を掲げてこの措置への反発を示したことは記憶に新しい。2022年10月13日に北京市の四通橋で反習近平の垂れ幕が掲げられたが、最近でも4月15日にも、四川省成都の街中の歩道橋に「政治改革がなければ民族の復興はない」「中国は個人が示す方向でなく、民主が示す方向が必要だ」と共産党の一党支配反対、民主化を要求する垂れ幕が掛けられた。これらはあくまで民間レベルのゲリラ的な行動であり、警察もすぐに取り締まりに入り、世間に大きなインパクトを与えることはなかった。それに比べ、大学の現職教授が明確に名乗りを上げて叛旗を翻したのは当局にとっては大きな驚きであり、SNS上でもショッキングな“事件”として流布された。
4月28日、華南理工大学「生物科学と工程学院」の林影院長(63)と補佐役の韓双艶教授(49)がネット上に顔写真や署名、職位、身分証番号を出し、大学の公式印も押した公開書簡を発表した。書簡は「星星之火,可以燎原(小さな火花も野原を焼き尽くす)」と題され、「民主、自由、人権」の実現を求める内容。①一党独裁の終結と民主選挙の導入、②言論と報道の自由の回復、③公平な社会の実現と民生の改善、④法治社会の確立と人権保障の徹底――という4つの訴えを明示している。林女史は「私は共産党員であり、14億人の中国人の一人だ。この広大な国土で、社会の堕落と圧迫を目の当たりにしてきた」と苦渋の心境を語り、6・4事件の名誉回復や自由と民主の回復を強く求めた。書簡はまた、国家主席の任期を制限していた憲法条文が2018年に削除されたことに対し、「中国の政治が帝政のように閉鎖的かつ単一化しつつある」とも批判している。
さらに、北京大学光華管理学院の張颖婕副教授も最近、海外の中国語メディアに名前を出して習近平批判をした。その内容は、「習近平が支配する共産党では中国は救えない」と前置きして、①GDPの5%アップなどは笑止千万だ、②人民も市場も未来の経済には暗澹たるイメージを抱いている、③中国国内の未来が信用できないので子供も資産も海外に移している-指摘しているという。これらの大胆な習批判はネット上では削除されたものの、民主活動家らの間では広まった。当局が批判文を書いた諸先生に何らの処分を下したという情報は流れていない。このため、一部からは「この大学での動きは党中央の一部勢力が後押ししているからだ」との見方が出ており、ネットなどでは、胡錦涛前国家主席、温家宝前総理らの長老幹部、さらには共青団が糸を引いているのではないかともうわさされている。
<諸外国も習不在を察知?>
ASEAN諸国にとって、中国は最大の貿易相手国である半面、南シナ海での権益をめぐって対立するところもあるので、中国の政治的、経済的な動向をものすごく注目する。そんな中で驚きの動きが出てきた。シンガポール前首相リー・シェンロン氏夫人であるホーチン女史(中国名=何晶)が最近、同国の評論プラットホーム「クリティカル・スペクテイター」とSNSフェイスブック上に激しい習近平批判を書いたことだ。そこには、「習近平は黒社会の親玉(ギャングのボス)みたいだ。彼のために中国経済はダメになり、人民は塗炭の苦しみにある」「南シナ海に9段線などを設けて周辺国に押し付けている」ときつい表現もあったとか。
リー・シェンロン氏はシンガポール建国の父リー・クアンユー元首相の子息で、今でも内閣の資政(顧問)を務めている。ホーチン夫人は金融機関投資会社テマセク・ホールディング社の幹部であり、現役のビジネスマンでもある。そうであっても、彼女の公的主張はすなわち夫の承諾なしにはあり得ないし、場合によっては夫の考え方、シンガポールの見方と取られても仕方がない。という意味では、あまりにも大胆な意見陳述である。この発言は習氏が中国の絶対的な権力を保持している時にはあり得ないであろう。シンガポールは今アジアナンバーワンの先進国であるが、それでも中国を敵に回したら怖い。したがって、夫人の発言は、シンガポールが恐らく何らかの方法で習氏の権力失墜を察知したからに他ならない。中国はシンガポールに公式に批判、反論はしていない。
カンボジアはASEANの中でもとりわけ中国とは関係が深い国だが、最近習近平主席が同国を訪れた直後に自衛隊の掃海母艦「ぶんご」などの艦艇のリアム海軍基地寄港を認めた。この基地はタイ湾に面した都市シアヌークビル近くにあり、中国が南シナ海の海洋支配確保のために建造し、専用で使おうとしたものだ。習氏の訪問直後にカンボジア政府が自衛隊に使わせたのは、ある意味習氏を侮辱した行動である。この寄港に対し、中国は激しく反発したが、今一つ迫力を欠いた。あるいは、党指導部内で、習氏なら見くびられても仕方がないとでも思ったのか。
カンボジアは中国軍内の混乱の様子をよく把握しているようで、中国との距離を見直す気配を見せている。フン・セン前首相は中国寄りの指導者として有名だったが、後任として今首相の地位にあるのは息子の息子のフン・マネット氏。彼は米国の陸軍士官学校やニューヨーク大学に学んだ経験があり、どちらかというと西側にシンパシーを感じている人だ。それでも中国との関係を疎遠化するのは難しいし、リスクが高い。寄港を認めたのは、あるいはマネット首相が恐らく最近の中国政権内の混乱、経済不振の泥沼にある状況を見て西側寄りに舵を切り始めたのかも知れない。
習近平主席は4月にベトナム、カンボジア、マレーシアの3カ国歴訪をする際、あらかじめタイ訪問も打診したようだ。ところが、3月末のミャンマー地震によって1000キロ離れたバンコクで建設中の会計検査院高層ビルが瓦解し、その施工に当たった中国の建設業者のずさんさが露見した。しかも、その国有企業「中鉄十局」が証拠の工事文書を秘密裏に持ち出し、タイの捜査当局の手に触れさせなかった。タイ政府はそれに不快感を持ち、習訪問を断ったというのだ。これも習氏が力を持ち、訪問拒否で中国側から不快感を示されたら、何らかの“報復”もあり得るので、タイ側も断り切れなかったであろう。ここからも習氏の立場の“変化”が感じられる。
<米国サイドの分析、見方>
米国サイドでは、軍権は完全に張又侠氏が握ったと見ている。現在の軍事委メンバーは、何衛東副主席、苗華政治工作部主任がいなくなったので、習近平主席、張又侠副主席、平委員の劉振立・聯合参謀長、張昇民・軍紀律検査委員会書記の4人で、軍出身者に限れば3人のみ。これも本来なら、董軍国防部長(党中央委員)が政治局委員に上がり、軍事委に列せられるべきなのだが、いまだにその報道はない。いや、場合によっては陸軍出身者の張又侠氏は海軍嫌いなので、海軍出身の董軍氏の職を解くのではないかとのうわさも立っている。その一方、今回の軍粛清に功績のあった張昇民・紀律検査委員会書記が苗華氏の後任の政治工作部主任に昇格するのではないかと見ている。彼は張又侠副主席の元部下である。
党中央は、習主席子飼いの勢力のほか、曽慶紅元国家副主席を中心とする旧江沢民派、胡錦涛前総書記が中心の共青団、さらに官僚、インテリに人気が高い朱鎔基(元総理)、温家宝(元総理)、王岐山(元国家副主席)の長老派が存在する。旧江派、共青団派、長老派は結託して習近平派に対抗しているようである。4中全会は、毎年夏恒例の北戴河会議のあと、早ければこの夏にも開催される見込みで、新たな体制が誕生するのではないかと見方が出ている。場合によっては習派が一掃され、王滬寧全国政協会議主席、蔡奇書記局常務書記、李希党中央紀律検査委員会書記、何立峰副総理、李幹傑統一戦線工作部長らが引退する可能性もある。
米中央情報局(CIA)が5月1日、中国の高官に対し機密情報を米国に提供するよう呼びかける中国語の動画を公開した。党中央内の混乱につけ込んで、「不満分子」の幹部を米側に引き寄せる工作に出たようだ。中国党政軍の幹部の中には米国に家族を持ち、資金を貯め込んでいる人もいるようだ。今は米国に敵対していても、老後はカリフォルニア州かフロリダ州辺りに移住し、豊かで自由な生活を送りたいとする中国の幹部は少なくない。であれば、米国に入れなくなるのは避けたい。米国には現在、マグニツキー法があり、人権侵害に関わった外国人を入国させない措置を取っている。最近、米政府は香港警察の高級幹部ら6人を制裁対象にし、米国への入国禁止処分にした。一種の見せしめ処分である。大陸中国人も同法の対象者になることを恐れて、あるいはCIAの呼びかけに応じる人が出てくるのかも知れない。
4中全会で中国の次期指導部体制がどうなるか。現政治局常務委員会で一番若い丁薛祥副総理(江蘇省南通市出身)は習氏の肝いりで中央に異動したが、もともとは上海市幹部だったので江沢民派とも近い。陳吉寧上海市書記とともに江派の曽慶紅氏に接近し、トップを目指しているとも言われる。一方、胡錦涛、温家宝、王岐山らの開明派長老は、胡錦涛氏が習氏のあとの隔代指導者に指名した胡春華氏(現党中央委員兼全国政協会議副主席)や、前回党大会で政治局常務委員兼全国政協会議主席から完全引退した汪洋氏らの共青団系有力幹部の復活を画策しているという話もある。現段階では党内で権力闘争が進んで混沌としており、予測は難しい。