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第8回 中華バロック式迷路:円明園 西洋楼遺址区 万花陣 東福大輔

第8回 中華バロック式迷路:円明園 西洋楼遺址区 万花陣 東福大輔

第8回 中華バロック式迷路:円明園 西洋楼遺址区 万花陣

円明園には、西洋楼遺址区のさらに北隅に迷路がある。これは乾隆帝によって「万花陣(ワンフアヂェン)」と名付けられたもので、総延長約1.6㎞のほぼ左右対称の迷路の中心に、小さなパーゴラ(東屋:あずまや)が建っている。設計の総指揮はジュゼッペ・カスティリオーネがとり、実際のデザインは同じイエズス会士のイグナティウス・ジッヒェルバルトが行ったと言われている。その形は、明らかにフランスのバロック式庭園(平面幾何学式庭園)の迷路を模したものである。確かに、迷路やフォリー(庭園内の小建築)によって「遊び」を提供することは、観覧者が退屈しがちな幾何学庭園にとって重要だ。だが、バロック式庭園には広大な敷地を貫いてナナメ方向に眺望を誘導する軸線が欠かせないが、ここには迷路がポツンとあるだけだ。中国文学者・中野美奈子による創作「カスティリオーネの庭」にも、円明園のこの部分がバロック的な軸線を持たず、むしろ、残された軸線の痕跡も、壁によってブチブチに切り刻まれているさまが描写されている。まるで、北京の胡同に切り刻まれた街並みを見るかのようだと…。

この迷路のつくり自体も、ヨーロッパ的な視点から見ると少々ヘンである。バロック庭園の迷路の壁は、映画「ハリー・ポッター」に登場するもののように、通常は背の高い植栽によって形作られているが、ここのは高さ1.2m程度と低く、さらに模様の入った「塼(セン)」という中国式黒レンガで固められている。

この迷路は、1980年代後半に修復された。円明園を修復するにあたり、再生が複雑な建築物ではなく、一番簡単に修復できそうなアトラクションが選ばれたのであろうことは想像に難くない。なお、中央のパーゴラも同時期に修復された。専門家によって、カスティリオーネらが遺した絵を元に在りし日の姿が再建されたが、完成後に写真が発見された。柱や屋根の形が違っていたが、目を細めれば迷路全体としての雰囲気はそう違わない。これが日本だったら、担当者は正しく再現することに拘りそうなものだが、中国は違う。中国の担当者が「没問題!(メイウェンティー/問題ない!)」と言っている姿が眼に浮かぶ。

それはともかく、乾隆帝はこの迷路をいたく気に入り、宮女たちに黄色いチョウチンを持たせて競争させ、それを眺めて楽しんでいたそうである(だから別名「黄花陣」ともいう)。皇帝自身は中央のパーゴラにゴールとして座り、勝った者には褒美を与えていたそうだ。

このような遊ばれ方をしていたのを知ると、この迷宮の様々な謎が解けるような気がする。植栽については、寒さが厳しい北京では「冬青(ドンチン)」と呼ばれる低い常緑樹くらいしか使えない。そもそも樹種が限られているためにレンガで造られたと考えることもできるが、これだけでは壁が低いことの理由にはならない。だが、遊ぶのが小柄な宮女たちだけであれば、壁の上に少し植栽を乗せる程度で「迷路の答え」を隠すことができるだろう。逆に中央の一段高い場所に居る皇帝からは、チョウチンを手にした彼女たちの動きが手に取るように分かる。中国の皇帝は単なる統治者ではない。皇帝自身が宇宙の中心であり、天と繋がる存在だから、全てを把握する必要があったのである。


写真1枚目:万花陣。迷路は簡単そうでも案外難しい。
写真2枚目:敷地内にある円明園全体模型の万花陣部分。
map:<円明園 西洋楼遺址区 万花陣>
北京市海淀区円明園内。地下鉄「円明園」駅B出口下車、徒歩15分
5~8月 7:00~19:00 / 4・9・10月 7:00~18:00 / 1~3月および11~12月 7:00~17:30 入場料25元(入場料+西洋楼遺址区入場料)


 

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