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第7回 伝説に彩られた聖山 摩尼山 森正哲央

第7回 伝説に彩られた聖山 摩尼山 森正哲央

第7回 伝説に彩られた聖山 摩尼山

韓国で4番目に大きな島、江華島の西南端にそびえる摩尼山(469m)は、朝鮮民族の始祖神、檀君にまつわる伝説に彩られ、聖山として古くから尊ばれてきた。桓雄と熊女の子とされる檀君は、天から摩尼山に降臨、紀元前2333年10月3日、朝鮮を建国、その52年後に摩尼山の頂に石積の塹城壇(祭天台)を築き天神を祀ったとされる

檀君が朝鮮を創建した10月3日は開天節と呼ばれ、建国記念日となっている。毎年この日、摩尼山一帯で“開天大祝祭”の催しがあり、江華郡の郡主が祭主となって塹城壇で檀君を祀り、七仙女が全国体育大会の聖火を採火する。またことしは、先日開催された仁川アジア競技大会の聖火も摩尼山で採火された。 

摩尼山は、標高自体は高くないが、黄海とそこに浮かぶ島々のパノラマを楽しみながらの稜線漫歩が楽しめる。今回は“開天大祝祭”に合わせて摩尼山を訪れたので紹介したい。

祝祭の前日、ソウルから江華島へ向かう。ソウル市内から島北東部の江華邑まで1時間半。江華邑のターミナルでバスを乗り換え、山麓の華道面までは20分余り。車内は行楽に来た家族連れや若者で立錐の余地がないほどの混雑していた。華道ターミナル前で下車し、そばの旅館に泊まる。翌朝は7時過ぎに出発。上坊里から山頂へは、塹城壇まで1004段の階段を直登する2・2キロの階段路コースと、尾根づいたいに登る2・9キロの檀君路コースがあるが、今回は檀君路を行く。樹間の踏み固められた道は歩きやすく、1時間で稜線に出ると展望が開けた。やまぶき色に染まりはじめた田んぼの先には、青い江華湾が広がり、信島、矢島など緑の島がのどかに浮かんでいる。右手に海を見ながら、さらに登ること30分、塹城壇のゲートについた。頂上部はフェンスで囲まれ、普段は午前10時から17時(冬は16時)まで開放されている。だが祭祀などを行なう祈祷師や巫女の侵入があとを絶たないという。摩尼山は韓国人を惹きつけてやまない〝エネルギー・スポット (気場)〟なのだ。塹城壇の前は、すでに大勢の人で混み合っていた。祭壇前には伝統装束の男性が並び、純白のチマチョゴリを着た七仙女が、笑顔で記念撮影に応じている。

記録によると、塹城壇は何度も改築されてきた。塹城壇は2段で、上段は円形で空を、下段は四角形大地を表す。祭祀は10時から始まった。まずは開天節の由来を紹介、「白頭大幹を伝って白頭山の生気が摩尼山に…檀君ここに塹城壇を築かれ・・・」と祝文を読み上げ、江華郡主ら祭官が聖水を注ぎ、祭壇に向かい拝礼を繰り返す。続いて七仙女が塹星壇の上で華麗に舞い、最後に聖火を点火。青空に純白のチマチョゴリが映えてひときわ美しかった。その後、すぐ隣の山頂に移動、雄大な景色を前に弁当を広げる。仁川国際空港のある永宗島、永宗島と本土を結ぶ永宗大橋、その遥か遠くに仁川の高層ビルがぼんやり霞む。東の方角、江華島南部と本土を結ぶ草芝大橋がある草芝鎮は、日本が朝鮮王朝に開国を迫った江華島事件の現場でもある。

摩尼山の稜線は東西に長い。山頂から東端のピークまではさらに約40分、岩場を通過するので足を踏み外さないように注意する。東端の小ピークについたら沙器里へ下る。尾根づたいに浄水寺を経由する道と、休養地の涵虚洞天渓谷へ下る2コースがあるが、後者を行く。浄水寺は639年に懷正禅師が創建し、かつて浄修寺と呼ばれたが、修復時に清水が湧き出たことから改名された。約1時間で多くの家族連れでにぎわう渓谷入口へ下山。41番バスで華道バスターミナルに出て新村行きのバス(3100番)に乗り換えソウルへ戻った。

●摩尼山へのアクセス(バス)
・ソウル新村~華道バスターミナル 3100番バス。
・ソウル新村~江華バスターミナル 3000番。
・江華バスターミナル~華道バスターミナル(摩尼山の上坊里登山口) 1日15本。約20分

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