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〔4〕戦後の韓国旅行漢字活用事情 小牟田哲彦(作家)

〔4〕戦後の韓国旅行漢字活用事情 小牟田哲彦(作家)

〔4〕戦後の韓国旅行漢字活用事情

1980年代初めごろまでの韓国旅行のガイドブックには、「中年以上の韓国人には日本語が通じるのでことばの心配がない」という記述が掲載されていた。台湾旅行ガイドブックでは「中年以上」が次第に「お年寄り」に変わりつつも21世紀初めまで同様の記述が残っていたが、韓国の場合は公の場で日本語を使用することに関する台湾との国情の違いもあり、そうした記述は1990年代に入ると見られなくなった。

韓国は日本と同じ漢字文化圏に属しているが、自国の言語をハングルのみで表記するか漢字を混在させるかで、戦後の国論はまとまらなかった。そして、現に教育現場で十分な漢字教育を受けないまま成長した世代が増えるにつれて、マスコミや書籍等での漢字使用の頻度は目に見えて減少。それとともに、市中の道案内表記や公共交通機関でも、日本人観光客が漢字を目にして瞬時に内容を理解する、という機会が減っていった。

ところが、ソウル駅では1990年代末期まで、駅の乗車券販売窓口に「京義線」「賈票所」という漢字表記の看板が掲げられていた。それも、ハングルとの併記ではなく漢字のみの表示なのだ。これでは、漢字が読めなければ自国民でも案内の意味をなさない。ハングルの看板が町中に溢れている90年代後半の韓国社会では、異質な空間だった。そういう窓口で実際に列車の切符を買うと、出てきたのはハングルと算用数字のみで印字されている切符だったし、窓口にいる駅員に「入場券」と漢字で書いて購入希望の意思を伝えても、そもそもその字を読める駅員がいなかった。

駅の売店で購入した韓国鉄道時刻表を開くと、列車の時刻が掲載されている本文は、片側にハングルの駅名が並び、対向のページに対応する漢字の駅名が並んでいる。これならハングルと漢字、どちらでも同等に理解できる。だが、巻頭に掲載されている韓国全土の鉄道路線図は、まるで日本人と中国人への配慮が最優先であるかのごとく、漢字表記一辺倒だった(画像参照)。

 

                                拡大図はこちら

 

もともと地名は一般名詞よりも漢字表記が定着している。韓国への国際郵便は、住所や宛名を漢字のみで記載すれば、現在でもきちんと配達される。21世紀に入った直後に、日本の国土地理院に相当する国立地理院が作成している地形図を専門店で買い求めたら、索引も含めてほぼ全ての地名が漢字のみの表記だった。だから、鉄道関係のサービス現場でも漢字表記が残りやすいのかもしれないが、凡例や※印の注釈まで「漢字で書ける単語は極力漢字を用い、助詞などにのみハングルを用いる」という、ハングルを併記もしない文章は、新鮮にすら見えた。

その後、1999年になって、日本統治時代に生まれた金大中大統領が漢字併用を推進したことから、道路表示板や駅名標などに漢字が積極的に併記されるようになった。時刻表の路線図はハングルのみとなったが、列車時刻が掲載されている本文がハングルと漢字を併記する状態は、2012年に同時刻表が廃刊になるまで続いた。

1988年のソウル五輪をきっかけとして発売が始まった日韓共同きっぷ(韓国側では「韓日共同乗車券」。船を挟んでJRと韓国鉄道を乗り継げる国際連絡乗車券)の券面は、日本語と韓国語を併記していたが、韓国文もハングルを併記しない漢字主体の案内文になっていた。1988年の発売開始当時の日韓両鉄道関係者による旅客案内表示の発想が、21世紀になってもそのまま引き継がれ、2015年の販売終了まで同じ表記が使用され続けていたのだ。韓国国内の鉄道駅で誰でも買えた時刻表に比べると手にする機会は限られたが、同きっぷが、日本人旅行者が「韓国は漢字文化圏だ」と強く実感できた最後の旅行ツールではなかったかと思う。



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