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第572回 アフガニスタンとウクライナ侵攻 直井謙二

第572回 アフガニスタンとウクライナ侵攻 直井謙二

第572回 アフガニスタンとウクライナ侵攻

1979年の当時のソ連のアフガニスタン侵攻と43年後の今年起きたロシアによるウクライナ侵攻がオーバーラップする。

アフガニスタン侵攻から半年後、西側諸国がボイコットした1980年のモスクワ・オリンピックとIPCがロシアの参加を許可しなかった今年の北京のパラリンピックもダブって頭に浮かぶ。

プーチン・ロシア大統領はウクライナの首都制圧後、親ロシア派による傀儡政権の樹立をもくろんでいたとの見方もある。同じようにアフガニスタン侵攻後、旧ソ連が後ろ盾となってナジブラ傀儡政権を樹立し、平静を取り戻そうとした。

隣国パキスタンには多数の難民が流入し、国境に近いペシャワールには巨大な難民キャンプが設立された。パキスタンは旧ソ連の次の狙いは港を持つ自国との危機感から、全面的にアフガニスタン難民を受け入れた。西側諸国もパキスタンを通して様々な支援を送った。

歴史的にロシアから圧迫されてきたポーランドが大量のウクライナ難民を受け入れているのと似ている。また、ポーランドなどを通して西側諸国からウクライナへの軍事支援が行われている。

ペシャワールを起点に、旧ソ連に抵抗するゲリラが7つのグループに分かれ、結成された。筆者はイランに近いイスラム原理主義組織のヘクマチアル派のゲリラを何度か取材した。ゲリラの士気は高く、旧ソ連に屈しないとヘクマチアル氏がインタビューに答えていた。(写真)

さらに、旧ソ連の戦闘の同行取材の許可を出してくれた。首都のカブールまでは入れないが、カイバル峠付近までならと勧めてくれた。この時はパキスタンとアフガニスタンの国境付近まで旧ソ連の戦闘機が飛来していたので、同行を断った。

戦闘が切羽詰まった状況でも、イスラム教の礼拝時間が来れば地面にカーペットを敷き、アッラーへの祈りを欠かさない。宗教に縁のない筆者には理解しがたい行動だ。

後日、カイバル峠に到着する前に旧ソ連の戦闘機による機銃掃射を受けたことを知った。

銃しか武器を持たないゲリラに勝機はないと思った。しかし、インタビューから3年後の1989年、旧ソ連軍はアフガニスタンから撤退を余儀なくされ、10年間の紛争が終わり、直後に旧ソ連は崩壊した。

ウクライナ情勢は今のところ、ロシアの圧倒的な軍事力で軍事施設や東部の拠点都市が制圧されている。ベトナム戦争やアフガニスタン侵攻と同様、長い戦闘の間に当初の意気込みが薄れ、巨額な戦費や戦死者の増加が問題となり、旧ソ連と同様、ロシア崩壊の危機の可能性もある。

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