第574回 ウイグル族の羊と日本の刺身 直井謙二
第574回 ウイグル族の羊と日本の刺身
故平山郁夫画伯がシルクロードの要衝サマルカンドなどを描いた初期の絵画が2年ほど前、新たに発見されたという。30年前、楼蘭遺跡をスケッチする旅に出た平山画伯を追って同行取材したことを思い出した。(「アジアの今昔・未来」第28回=遥かなる楼蘭の記憶=をご参照)
短い旅だったが、旅の面倒を見てくれたウイグル族のスタッフや考古学者の温かい歓迎が忘れられない。毎夜、宴会を開き、火を噴きそうな強いマオタイ酒と羊の料理でもてなしてくれた。ウイグル族の動物性蛋白源は羊と聞いていたが、どんな料理にも羊肉が入っていた。ウルムチで買い物中の親子連れを撮影したが、背景の肉屋には皮をはいだ羊がつるされていた。(写真)
タクラマカン砂漠のオアシス都市コルラから中国人民解放軍のヘリに乗り、楼蘭には二泊三日滞在した。同行した人民解放軍が警備と食事の世話をしてくれた。羊2頭を生きたまま持ち込み、1日に1頭処理して羊肉のチャーハンやスープを作ってくれた。
天候にも恵まれ、平山画伯のスケッチの様子や遺跡を撮影し、取材は順調に終わった。ウルムチに戻ると、お別れのパーティーを開いてくれるという。宴会会場のメインテーブルに据えられた羊が目に飛び込んできた。羊は駆け出す姿で丸姿焼きにされ、口には草が添えてあった。
人懐こいウイグル族の人々は羊肉を薦める。「羊は新鮮さっきまで生きていました。その証拠にまだ草をかんでいます」。連日の羊肉に飽きていたが、無理やり口に放り込んだ。
帰路、北京に立ち寄った時は羊の料理から解放され、少しほっとしたが、殺伐とした雰囲気で親切なウイグル族の人々が恋しくなった。
1989年6月の天安門事件の名残があった。軍の制圧で平穏が戻ってまだ5カ月、北京ホテルで日本円と人民元を交換したが、従業員は人民元の札束を投げてよこすなど市民もとげとげしかった。ウイグル自治区の取材の帰りということもあって、取材したVTRの検閲も厳しかった。
数カ月後、現地の取材で世話になったウイグル族の数人を東京に招待した。筆者の勤務先の本社近くのすし屋に案内し、生き作りのタイの刺身をご馳走した。「ウルムチでは新鮮な羊をいただきました。この魚をご覧ください。羊は料理されていましたが、魚はまだ生きています。羊より新鮮です」。筆者の言葉にウイグル族の一行はのけぞった。
国際親善でも食文化の壁は高い。中国の習近平政権はウイグル族への弾圧で国際世論の非難を浴びている。楼蘭で世話になった人々は無事だろうか。