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第350回 様変わりしたフエ城観光  直井謙二

第350回 様変わりしたフエ城観光  直井謙二

第350回 様変わりしたフエ城観光

ベトナムが中国との間で様々な問題を抱えつつも古来中国文化を受容してきた点は日本とよく似ている。宗主国フランスの影響で今でこそアルファベットに近い文字を使って表記するが、以前は日本同様漢字かもしくは漢字をベースにしたチュノム文字を使っていた。ベトナムは中国の官吏試験である科挙の制度も導入した。


首都ハノイにある文廟には15世紀以降に科挙試験に合格した82名の名前が亀の甲羅の上に乗せられた碑に刻まれている。合格者発表の形式も中国と同じだ。19世紀から第二次大戦終了まで首都が置かれた中部のフエには北京にある故宮を小型化したような阮王朝の大和殿や寺院が数多く残っている。

フエを初めて訪ねたのは90年代の始めだ。ベトナム戦争中でも最も激しい戦闘が繰り広げられた1968年のテト攻勢でフエ城は激しい銃撃戦で傷ついた。王宮門の天井や壁には無数の銃弾の跡が残り、戦闘の激しさを生々しく語っていた。フエの王宮を見学した後、南にあるダナンをめざし車でハイバン峠を下った。雲海のかなたに南シナ海を望む峠を越えると気温が上がり天候が一変したのを憶えている。

今回およそ四半世紀ぶりに逆にダナンから北に向かってフエを目指した。ハイバン峠の雲海、銃弾の跡が残る王宮など懐かしい風景が頭をよぎった。そろそろ峠に差し掛かるころだと車窓を眺めているとトンネルに入った。トンネルは長くなかなか通り抜けられない。ようやくトンネルを抜けるとすでにハイバン峠は過ぎていた。

90年代の終わりから日本の援助などでトンネル工事が着手され2005年に長さ21キロのトンネルが完成、国道1号線の難所とされていたハイバル峠がスムーズに通過できるようになっていた。同時に雲海の向こうに霞む南シナ海の風景は幻と消えた。

フエに到着するとすぐに王宮に向かった。王宮を含め建造物がベトナム初の世界遺産に登録された影響もあり、綺麗に整備された王宮までの道路は内外の観光客であふれていた。テト攻勢の激しい銃撃戦の弾痕の跡は修復されていた。戦争の傷あとに注目した前回とは違ってゆっくりと王宮を見学できた。王宮の破風に「日日憂農事、孜孜糧雨晴」の漢字を見つけた。(写真)中国文化の強い影響を見るとともに阮王朝も農産物の豊作を願って穏やかな天候を願っていたことが確認できた。

様変わりしたベトナムだが、日照りや洪水のない穏やかな天気と豊作を願う農業国であることは将来も変わらない。

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