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第18回 スリランカの悲劇  直井謙二

第18回 スリランカの悲劇  直井謙二

第18回 スリランカの悲劇

先ごろ、スリランカの25年にわたる内戦が終了した。長年、スリランカ政府軍と戦闘を交えた少数派タミル人の武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」が5月中旬、政府軍に追い詰められ、崩壊した。最大都市のコロンボでは市民が長年のテロから解放された喜びに沸き立ったようだ。

日本も明石康・元国連事務次長をはじめとして和平に協力してきたことから、明るいニュースとして報じられた。だが、スリランカの和平が維持されるかどうか、また、先住民族のシンハラ族とタミル族との間に横たわる貧富の差や宗教の違いをどう乗り越えるか、残った課題も大きい。

スリランカは小乗仏教発祥の地で、先住民のシンハラ族は仏教徒だ。スリランカが誇る遺跡の1つが世界遺産のシーギリヤ・ロックだ。シーギリア・ロックの岩山はそのものが堅固な城になっている。岩山沿いに設けられた細いはしごを登り、民族衣装に身を包んだ女性のフレスコ画を見学する。民族衣装はスリランカから小乗仏教が伝わったタイやミャンマー(ビルマ)の民族衣装と似ている。地上から200メートルの頂上まで息を切らせながら登ると、頂上には城の土台だけが残っていた。

この島に目をつけたのは宗主国だったイギリスだ。中国から高価な価格でお茶を輸入していたイギリスは自ら茶を栽培するため、19世紀になってセイロン島に茶プランテーションを開発した。茶は山つきで気温のあまり高くない所が栽培に適している。スリランカ高地のヌワラエリヤの斜面は今も一面の茶畑だ。もともと、セイロンには茶を作るノウハウがなかったことから、イギリスはインド南部に住むヒンズー教徒のタミル族をセイロンに連れて行き、茶の栽培に乗り出した。多くのイギリス人も温暖なヌワラエリヤに住み着いた。

ヌワラエリヤにはアジア最古のゴルフ場「ヌワラエリヤ・ゴルフコース」があり、クラブハウスに飾られたコンペの優勝者にはイギリス人の名前がずらりと並んでいる。第2次大戦後、セイロンは独立し、国名をスリランカと改め、イギリスの手を離れたが、紅茶づくりは今もタミル族の手で行われている。(写真)


ところが、先住民のシンハラ族は長い歴史を持つ仏教徒、一方のタミル人はヒンズー教徒だ。その上、シンハラ族に比べて移民のタミル族は貧しく、徐々に対立が深まり、25年にもわたる激しい戦闘が続いた。スリランカは、由緒ある歴史とともに風光明媚な観光スポットも多い。国民性もおおらかで観光大国になる可能性を感じ取った。今後、スリランカが安定し、観光産業などで国民生活が改善することを期待したい。


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