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第453回 タイ在住歴40年の先輩記者、96歳の大往生 伊藤努

第453回 タイ在住歴40年の先輩記者、96歳の大往生 伊藤努

第453回 タイ在住歴40年の先輩記者、96歳の大往生

先ごろ、タイ在住歴が40年近くになる記者の大先輩が96歳で他界された。東田幸夫さんで、同じ会社に勤務していた関係もあって、筆者が1990年代後半にバンコク支局に駐在していた際、支局隣りの大部屋に事務所を構える現地法人の社長として、朝から晩まで精力的に仕事をされていた。この現地法人は、日本語も堪能な地元のタイ人記者や編集者を何人か雇って、首都バンコクをはじめタイ各地に進出している日系企業にニュース配信サービスを展開しており、東田さんはマネージャー兼編集長として事業を切り盛りしていたのである。

特派員活動の拠点であるバンコク支局と営利のニュース配信事業を行うタイ現地法人は同じ会社を名乗っていながら、組織上は別なのだが、東田さんももともとは経済部畑を歩んだ本社の記者出身であり、筆者も会社の大先輩として公私とも親しく接していた。

東田さんは会社をいったん定年退職後、低迷の続いていたタイでのニュース配信事業をテコ入れするため、自ら手を挙げる形でバンコクに赴任。それからというもの、読者である進出日系企業の幹部のニーズに合致する記事の発掘に精力的に取り組む一方、タイの地元メディアが伝える経済情報にも目配りし、それを日本語の記事に翻訳するタイ人スタッフの育成に力を注いだ。タイにある支店や現地法人に派遣される日系企業の幹部も、英語はできてもタイ語となると、やはり自由に読み書きできるビジネスマンは限られる。東田さんは経済記者としての長年の活動を通じて、タイ語有力紙に掲載された記事の中にも日本人ビジネスマンに届ける価値のある情報は多いと判断し、直接取材した記事と同様、地元紙からの翻訳記事にも伝えるべき情報があるとして、ニュース配信事業の車の両輪に据えたわけだ。

東田さんがタイでこの仕事を任された1980年代は、急激な円高の進行という日本の製造業界を取り巻く投資環境の変化もあって、タイなど東南アジア諸国に現地生産の拠点を置く日系企業が急増し、結果的にタイに進出する日系企業がうなぎ登りに増えた。東田さんが仕切っていた日系企業向けのニュース配信事業には追い風が吹き、ニュースを購読する企業も大幅に増えていったのである。

経営コンサルタントといった企業活動の専門家が口にする言葉に、事業の発展には「TPOも重要な要素」というものがある。「T」は時期、「P」は場所、「O」は機会を意味する英単語の頭文字(タイム、プレース、オポチュニティー)だが、タイ現地法人の日系企業向けニュース配信事業の急成長にも、このTPOの経営理論(?)が当てはまるのではないか。

東田さんは2000年代初め、70代半ばで現地法人社長の座を退き、その後はタイの政治情勢を見守るなどの取材活動をフリーの立場で続ける傍ら、バンコクにある会社近くの幼稚園に請われて、名誉園長としてボランティア活動に余生を捧げた。後半生を近くで支えたのは、バンコク支局の元敏腕女性記者で、その後、東田さんの会社に引き抜かれたタイ人女性のサクラットさんだ。日本語が堪能なこのタイ人女性と東田さんの二人のやりとりを近くで聞いていると、心から信頼を寄せ合っている父親と娘のように錯覚するのが常だった。バンコクからの訃報に接し、タイという国とその社会を愛していたこの記者の大先輩は終生、ジャーナリストとして充実した日々を送ったのではないかと思いを巡らした。

 

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