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第590回 3度目のカンボジア紛争終結 直井謙二

第590回 3度目のカンボジア紛争終結 直井謙二

第590回 3度目のカンボジア紛争終結

カンボジア紛争という言葉さえ薄れていく今日だが、最初に取材にカンボジアに入ったのは35年以上前の1986年9月だった。ポルポト政権が崩壊して7年が経ち、原始共産主義や大量虐殺など政権の闇が報じられていた時だった。文明を否定するポルポト政権は都市や通信網を破壊し、鎖国状態に近い政策をとった影響が残り、入国や移動は困難を極めた。政権が崩壊してもポルポト派はタイ国境ちかくに支配地区を持っていたことから内戦が続き入国できても取材は常に危険と隣り合わせだった。

100万とも200万ともいわれた自国民の虐殺が非難され、国際社会の注目を浴びていたが、取材しなければ確信は持てない。ツールスレーンの処刑場や無造作に山と積まれた大量の人骨を目の前にして呆然とした。

90年代に入ると内戦終結の機運が盛り上がり92年UNTACによる国連主導の総選挙が行われた。当初、和平会議に参加していたポルポト派のキュー・サンファン首相が突然プノンペンから姿を消した。(写真)結局ポルポト派は和平会議も総選挙からも離脱し戦闘を続けた。

選挙結果で一応政府は誕生したものの、フンセン派とラナリット派の銃撃戦が繰り広げられ、ポルポト派も支配地域を維持した。その後ポルポト派と政府の戦闘が続いたが、政府軍が次第にポルポト派軍をタイ国境に追い詰めた。

1回目に内戦が終結したと感じたのは1998年タイ国境沿いのダンレック山の上にあるプレアビヒア寺院に立てこもっていた最後のポルポト派の兵士が姿を消した時だ。その直後に取材に入ったが、寺院の境内には砲弾が転がり眼下のカンボジア軍をにらむ大砲は残っていた。一方でタイ人を中心に早くも観光が始まっていた。そして、ほぼ同時にポルポト氏が死去した。タイ国境に隣接したアンロンベンで荼毘に付され、立ち上る煙をタイ側から確認した。

ポルポト派は軍ばかりでなく指導者も死去したことで2回目の内戦終結を確信した。ポルポト派の虐殺犯罪を裁くため、2003年カンボジア政府と国連が共同で特別法廷設置した。

法廷の進行が遅れている間に被告であるポルポト派の幹部の高齢化が進んだ。2022年9月末22日、ポルポト派を裁く特別法廷が終結、上級審は唯一存命していたキュー・サムファン元幹部会議長に終身刑が言い渡された。キュー氏はすでに高齢で認知症気味、事実上ポルポト派の幹部への断罪はうやむやのまま終わった。最初に人気の少ないプノンペンやシェムリアップに入った当時41歳の筆者も喜寿を迎えていた。


《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回  
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