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テスラ社CEOマスク氏の電撃訪中の狙いは何か―やがて政治的スタンスが問われそう(下) 日暮高則

テスラ社CEOマスク氏の電撃訪中の狙いは何か―やがて政治的スタンスが問われそう(下) 日暮高則

テスラ社CEOマスク氏の電撃訪中の狙いは何か―やがて政治的スタンスが問われそう(下)

<マスク氏のさらなる狙い>
もちろん、多能なマスクの事業はEVにとどまらない。彼は昨年10月、テスラ社の一部持ち株を処分してまでして、440億ドルを投じてSNSのツイッター社を買収した。確かに、米国ではこのSNSの発信力は大きく、魅力的である。トランプ米前大統領も就任時、世界の政治経済事象に対し、自らの意見、感想を述べるため、真っ先にこのツールを使ったため、世界のメディアはトランプ氏のツイートに注目せざるを得なくなった。だが、マスク氏が同社を買収した時にはトランプ氏はすでに退任、ツイッターの注目度も下火になっていたので、多くのアナリストは巨額を投じてのこの買収に疑問を感じた。

マスク氏はツイッター社買収の理由について、当時、自らのSNSの中で、こうツイートしている。「ツイッター社を買収したのは、共通のデジタル・タウン・スクエアを有するという文明の将来にとって重要であるからだ。デジタル・タウンとは、暴力に訴えることなしに、賢明な方法で広範な意見交換ができる場。現代は大きな危うさが存在している。それは、ソーシャルメディアが極左や極右勢力のエコー室に分かれ、さらなる憎しみや社会の分断を生み出していることだ」。表現が抽象的すぎて良く分からないところがあるが、要は、SNSは一方的な攻撃や中傷でなく、理性的に議論する場でなくてはならないという点を強調、健全なツールとして発展させたいとの意思を示した。

だが、稀代のビジネスマンであるマスク氏が採算度外視でメデイア業に入ることはちょっと考えにくい。そこで中国系サイトを改めて見ると、マスク氏の今次訪中には別の狙いもあるとの見方もある。中国でツイッターの利用解禁を要請することがその一つだという。人口の多い中国は、SNS広告の巨大マーケットであるのにもかかわらず、フェイスブック、LINEなどとともにツイッターも禁止されている。そこでマスク氏は、中国指導部との会見の中で、解禁を求めたのではなかろうか。「極左や極右勢力のエコー室に入らない」という表現は、中国市場の参入を求めてツイッターの不偏不党の“健全性”をアピールする狙いがあったのかも知れない。中国当局としては、西側SNSには反政府運動を呼び込む危険性があると見ている。だが、その割には制御が難しいと認識している。それ故に、中国側が西側SNSを解禁する可能性は極めて低い。

もう一つの狙いは、彼が最近、EV以上に強く発展意欲を持っているスターリンクや宇宙事業であり、その分野で中国とコラボレーションできないかを探ることだったのではなかろうか。中国滞在中、ツイートしなかったマスク氏だが、5月30日、中国版SNSの「微博(ウェイボー)」には短いコメントを出している。それは「中国の宇宙開発は、多くの人が認識している以上にはるかに進んでいる」という内容。同日、秦剛国務委員兼外交部長と会談した直後のコメントだけに、2人の会談で宇宙事業の話まで及んでいたことが想像できる。

マスク氏の宇宙事業企業「スペースX」が衛星インターネット事業「スターリンク」を展開していることは良く知られていること。米国防総省がスペースXと契約してウクライナにスターリンクを使わせ、ロシアの無人機の位置情報を把握するなど軍事面で支援したことでも有名になった。同じく衛星を使う中国のインターネット計画「星網」がスターリンクを上回る規模で進められているが、秦剛外交部長会談後の発言から推察するに、マスク氏は今回の訪中で中国の宇宙開発のすごさを再認識したのではなかろうか。ちなみに、マスク氏はスターリンクのウクライナ供与で政治的な立場を明確にしたわけでなく、あくまでビジネスベースの取引である。その証拠に、ロシアへの供与もあり得ることをほのめかしたくらいだ。

スターリンク事業では当初4425基の衛星打ち上げが考えられていたが、その後に4万2000基まで増やすことが明らかにされた。中国の星網計画でも、「中国電信股份有限公司衛星通信分公司」が万単位で衛星打ち上げを行うと発表している。通信衛星の軌道は赤道の高度約3万6000キロ上空と決まっており、多数の衛星が打ち上げられれば、その過密が事故を誘発する恐れもある。現に、2021年には、衛星同士ではないが、中国の宇宙ステーションがスペースXの衛星とニアミスを起こす事故が2度あった。マスク氏が北京で金壮龍工業信息化部長と会ったのは、新エネルギー車やICV(AI搭載車)の話が中心だったのであろうが、そのほか通信衛星問題も取り上げられ、両者間の調整にも話が及んだに違いない。

マスク氏のビジネスはEVと宇宙事業にとどまらない、医療関係機器の開発にも及んでいる。米系華人メディアは「中国指導部が今回、マスク氏をハイレベルな態勢で歓待をしたのはマスク氏のもう一つの企業ニューラリンクの存在がある」と指摘する。ニューラリンクはマスク氏が2016年、脳神経学、生化学、ロボット工学の専門学者を集めてサンフランシスコに創設した企業。脳に微細の電極チップを埋め込み、脳機能の再生を図るというものらしい。要は、人間の脳自体をAI化するということか。医学的にはこれで脊椎損傷など失われた機能を回復することが考えられるという。治験の中で、車の事故で下半身不随となり、12年間病床にあった人が大脳への埋め込み手術を経て歩けるようになったケースもあったという。

米国では将来性ある事業だとしてニューラリンク社の株価はすでに50億ドルに達しており、宇宙事業並みに注目されている。中国もこの事業内容に大きな関心を持っていることは間違いない。マスク氏の今次訪中で国務院の閣僚たちとニューラリンクについて話し合ったという報道はない。ただ、同氏としては、中国側と新規事業について話し合ったとほのめかせるだけでも、ニューラリンク社の企業価値は上がり、株価上昇につながり、エクイティファイナンスが容易になるという思惑はあったであろう。

<米中はデカップリング?>
バイデン政権は今、盛んに米中のデカップリングを喧伝している。半導体の部品、素材の対中輸出などを禁止している。だが、マスク氏自身はもともと政治的なスタンスを嫌うビジネスマンであり、南アフリカ出身であるから米国への忠誠心も希薄と見られる。秦剛外交部長との会談で、「米中は結合双生児のように(利益を共有しているので)離れることができない」とも強調したところを見ると、米政権の方針とは一致していない。

ただ、米中間のデカップリングが進めば、米国にビジネスの本拠地を置くマスク氏にとっては、すでに中国市場でビッグビジネスとなっているEVや、中国との協調が必要な宇宙事業でも困難に直面する。その意味では、マスク氏の中国ビジネスは危うさを秘めている。今は、利益を追求するだけのビジネスマインドで米中の間をうまく立ち回っているが、EVの電池調達で米側から条件を付けられたように、やがて多くの面でその政治性が問われる時が来るのかも知れない。

半面、米国のブリンケン国務長官が6月に北京を訪問して中国との関係改善を探った。企業家レベルでは、マイクロソフト社創始者のビル・ゲイツ氏が訪中して、習近平国家主席と会談したとのニュースも入ってきた。バイデン政権も心底では完全なデカップリングを望んでいない様子だ。そういう意味では、政治的スタンスを明白にしない企業家の存在価値はまだありそうだ。ところで、マスク氏が“老朋友 ”の李強総理に会えないのに対し、ゲイツ氏には習主席がサシの会談に応じたとは破格の待遇だ。中国は、こうした厚遇冷遇の違いを見せつけながら相手国や企業人を手なずけ、懐柔することにたけていることも忘れてはならない。


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