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東亜学院からつながった縁 ―廊下のポスターから憧れの上海万博へー

東亜学院からつながった縁 ―廊下のポスターから憧れの上海万博へー

もしもあの時東亜学院に通っていなかったら、一生思い出に残る中国での体験はできなかったでしょう。

私は学生時代に北京短期留学と1年間の大連留学をし、就職後仕事を辞めて再び北京に留学、その後天津と上海で現地採用の仕事をしました。2008年の北京オリンピックと2010年の上海万博で働きたいという夢がありました。しかしいろいろな事情があって帰国することになったため、その夢は諦めました。

中国語が大好きで、帰国後に中国語を忘れたくなくて東亜学院に通い始めました。おもしろそうだったので時事講読クラスを選びました。このクラスでは先生が選んだ新聞記事などを教材に、書き取りや翻訳、討論などを行い、中国語だけでなく中国の今を学ぶことができました。

少人数だったため授業中に何度も自分が答える番が回ってきます。なのでいつも予習が大変だったけれど、おかげで聴く力、読む力、話す力、書く力がつきました。クラスメイトとの連帯感も強まりました。授業後にはよくみんなで寄り道して中国語について語ったものです。共に学ぶレベルの高いクラスメイト達の存在は、とても励みになりました。


そんなある日のこと、東亜学院の廊下に貼ってある1枚のポスターに目が留まりました。

「上海万博日本館アテンダント募集」

帰国とともに諦めた夢。まさか日本にいて応募できるとは思っていませんでした。その日から頭の中は万博のことでいっぱい。今の仕事はいつ辞めるか、借りている部屋はどうするか、いや、その前にまず受かることを考えなければ……

中国語はもちろんのこと苦手な英語もなんとか面接で答えられるよう準備し、筆記試験、面接、一次選考、二次選考、と進んでいきます。そして手にした合格通知。夢が叶った瞬間でした。東亜学院の先生やクラスメイトたちも喜んでくれました。

その後、上司や同僚にも応援してもらって会社を円満退職。国内研修、上海での研修を経て、201051日、いよいよ上海万博開幕です。

夢だった日本館アテンダント。しかし現実は辛いこと、大変なこと、今となってはネタとして笑えるようなびっくりすることだらけの毎日でした。

そんな大変な毎日の中でも、お客様に楽しんでいただけた時、謝謝と言ってもらえた時の嬉しさは格別でした。また、アテンダント仲間とごはんを食べたり気晴らしに遊びに行ったりすることでストレスを発散し、みんなの支えのおかげでなんとか1031日の閉幕を迎えることができました。

閉幕後、5日間の帰国準備期間がありました。それまでずっと忙しかったため、最後のこの時間を利用して一人で福建省の客家円楼とコロンス島に行きました。


円楼でお茶屋を営むおじいちゃんやその家族との心温まる思い出、家に招いてくれたおばちゃん一家と一緒に夕ごはんを食べたこと、また別の人のおうちで朝ごはんを食べたこと、おじいちゃんが教えてくれた丘の上から見た日の出と土楼の風景。

 

コロンス島では宿のスタッフ、オーナー、お客さん、それに向かいのホテルのスタッフまでやって来てみんなで夜遅くまでおしゃべりしたり、散歩の途中で出会い家に招いてくれた音楽家のおじさんやその仲間とコンサートのビデオを見ながらお茶したり。上海万博とともに、この旅での出逢いは忘れられない思い出となりました。

更に、万博期間中よく遊びに行っていたスリランカ館の人たちと仲良くなったことから翌年スリランカに旅行に行って再会を果たしたりもしました。

廊下に貼ってあった1枚のポスターから、一生忘れられないたくさんの思い出ができました。上海万博で中国語を使って仕事できたのも、旅先で出逢った人たちと中国語で語り合えたのも、あのハードな授業で中国語を鍛えられたおかげです。予習復習は大変だったけど、がんばって授業についていってよかったなぁと思います。

(先﨑直子様)


 >>常設コース 専修講座 時事講読

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