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〔15〕機内喫煙に比較的寛容だったアジアの航空便 小牟田哲彦(作家)

〔15〕機内喫煙に比較的寛容だったアジアの航空便 小牟田哲彦(作家)

〔15〕機内喫煙に比較的寛容だったアジアの航空便

今や世界中どこでも、航空機の機内はトイレの中まで含めて全面禁煙が当たり前になっている。座席の頭上などには禁煙マークのランプがついているが(画像参照。エミレーツ航空機内)、並んで点灯するシートベルト着用マークと異なり、禁煙のマークは搭乗中、消えることがない。最近では禁煙マークの代わりに携帯電話の使用禁止のランプが表示されているケースもあり、もはや航空機内でタバコを吸わないのは「言われなくても旅客は当然承知している」レベルの注意事項であると認識されている。

(エミレーツ航空機内の禁煙・シートベルトサイン)

だが、それが世界共通の常識になったのはこの20~30年ほどのこと。機内禁煙の流れは1980年代にアメリカの航空会社から始まったと言われており、それ以前は離着陸時を除いて、客席で旅客がタバコを吸うことは一般的に可能だった。それが、1992年にはICAO(国際民間航空機関)が副流煙による健康被害の防止や火災予防を理由として航空機内での禁煙化を勧告するなど、徐々に禁煙化の動きが世界中へ拡大。その動きはまず短距離路線で、次いで国際線など長距離路線へと及んでいった。

もっとも、欧米に比べるとアジア各国での機内禁煙の動きは遅れがちで、少なくとも1990年代半ばまでは、日本発着のアジア向け国際線でも機内喫煙可の航空会社は存在した。日本のJALとANAが国内線での全面禁煙を実施したのが1998年、必然的に長距離路線となる国際線での全面禁煙に踏み切ったのは翌1999年で、ICAOの禁煙化勧告から7年が経っていた。

欧米系よりもアジア系の航空会社が禁煙化への動きが緩やかだった背景には、喫煙に対する各国の文化的な位置づけの違いも影響していたように思う。少なくとも1990年代までは、アジアの多くの国で、旅行中に見知らぬ男性同士が親しくなればタバコを勧め合うのが挨拶の一態様と受け止められていたというのが、当時アジア各国を旅した私の個人的な感想である。私は一切タバコを吸わないのだが、現地でちょっと親しくなると、「禁煙」と表示されている列車やバスの中でもすぐにタバコを勧められ、そのたびに「自分は吸わないので……」とやんわり断り、そこで会話が途切れて気まずくなる、という経験を数えきれないほど繰り返した。あのようなコミュニケーションが成り立つ社会で、飛行機に乗ったときだけ何時間もタバコを我慢せよ、といきなり言われても、即断実行は難しかった気がする。

最後に喫煙可能な国際線に乗ったのは、1990年代後半の成田~北京間のパキスタン航空だったと記憶している。かつてパキスタン航空は、イスラマバードから北京までの便の一部が成田まで足を延ばしていた。毎日運航ではなく利用しやすいわけではないのだが、隣の席にいた日本人の男性客は「北京へ行くときにパキスタン航空を選ぶのは、機内でタバコが吸えるから」と言っていた。彼は、頭上の禁煙マークが消灯されると、旅客が少ないエリアへ席を移して懐からタバコを取り出し、うまそうに紫煙をくゆらせていた。アジア地域の国際線の多くで、20世紀の最末期まで見ることができた機内の一光景だったのではないだろうか。

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