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〔14〕日本統治時代からの伝統を受け継ぐ韓国の温泉ホテル 小牟田哲彦(作家)

〔14〕日本統治時代からの伝統を受け継ぐ韓国の温泉ホテル 小牟田哲彦(作家)

〔14〕日本統治時代からの伝統を受け継ぐ韓国の温泉ホテル

韓国では、創業から30年ほど経つ店舗や企業は「老舗」の部類に入るという。創業30年以上の飲食店を政府が支援する制度まである。宿泊施設も同様で、戦前から営業を続けているホテルや旅館は、韓国には少ない。朝鮮戦争で国土が荒廃した際に姿を消した老舗旅館があったのかもしれない。

ソウルでは、日本統治時代の1914(大正3)年に「朝鮮ホテル」として開業したウェスティン朝鮮ホテルソウルが、創業100年を超える老舗ホテルとして知られている。もっとも、レンガ造りの壮麗な洋館で知られた当時の建物は1970年に建て替えられ、豪華な5つ星ホテルとなった現在では、「朝鮮ホテル」という名前が老舗らしさを感じさせるほぼ唯一の名残りとなっている。

ソウルから高速鉄道KTXに乗って1時間ほど南下した忠清南道牙山市に、温陽温泉という温泉地がある。約600年前の李氏朝鮮時代に王族が湯治や保養のために温陽行宮として利用していたが、20世紀以降、風呂好きの日本人が温泉開発に携わるようになってから徐々に一般庶民に開放されていった。私鉄の朝鮮京南鉄道は湯治客向けの観光列車を京城(現・ソウル)から自社路線内の温陽温泉まで直通させ、往復割引切符を販売した。

(画像㊤)

同社はさらに、神井館という本格的な直営ホテルを整備した。西洋式の本館には男女別の共同浴場のほか、専用貸湯(専用の浴槽と四畳半の休憩室付き)や売店、食堂などが設けられ、日本式の宿泊棟は各客室とも本間、次の間及びベランダ付きになっていた。朝鮮総督府鉄道局が1929(昭和4)年に発行した『京城案内』という小冊子には、日本式の浴衣姿の湯治客や畳敷きの客間の写真が掲載され(画像㊤参照)、「最近は浴客殺到して朝鮮の寶塚と云ふ樣に名聲を博することになり」などと記されている。

(画像㊦)

温陽温泉の代表的な旅館として名が知られ、まさに「老舗」扱いされるようになった神井館の本館や宿泊棟は、朝鮮戦争のさなかに全焼して消失。残ったのは、李氏朝鮮時代に建てられた神井碑という敷地内の古い石碑(画像㊦参照)。現在は忠清南道の文化財に指定)など、わずかな遺跡だけだった。その後、1956年に温陽鉄道ホテルとして営業を再開し、1967年に温陽観光ホテルと名を変えた。経営者は何度か変遷したが、今も同じ名で営業を続けている。

現在の温陽観光ホテルには、日本時代の有名旅館としての面影は全くない。和室の客間などあるはずもないし、大浴場も大幅に拡充されている。ただ、館内には「温陽行宮展示館」という小さなギャラリースペースがあり、ここにホテルの歴史が古い文献や新聞、写真などと共に紹介されている。李氏朝鮮時代の歴史に続いて、日本統治時代の神井館時代の洋館の全景や館内の共同浴場の写真なども展示されており、このホテルが日本統治時代からの伝統を受け継ぐ老舗ホテルであることを静かに物語っている。

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