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第30回 金大中と金泳三、両氏の和解は間に合ったか 直井謙二

第30回 金大中と金泳三、両氏の和解は間に合ったか 直井謙二

第28回 金大中と金泳三、両氏の和解は間に合ったか

体調を崩し、7月中旬からソウル市内の病院に入院していた金大中元韓国大統領が8月18日死去した。亡くなる1週間ほど前、元韓国大統領だった金泳三氏が見舞い、直接面会はできなかったものの、李姫鎬夫人を励ました。1987年の大統領選で与党の盧泰愚候補に対抗する野党候補の一本化で両氏が対立して以来、実におよそ23年ぶりの和解だ。

1980年代前半まで、両氏は全斗煥軍事政権下で弾圧を受けた。軍事独裁政権を倒し、韓国の民主化を実現するという共通の目的を持ち、両氏は路線の違いはあったものの、盟友関係にあった。

亡命先のアメリカから金大中氏が帰国した1985年2月、凍てつくソウルは緊張感に包まれていた。帰国するやいなや、金大中氏は自宅軟禁になった。公安警察のガードを振り切って自宅に入り込んだ。

筆者が犬小屋の前で立ちすくんでいると、金大中氏は「そこの日本人の方、こちらに来てお茶か食事をどうですか。しばらく出られませんよ」と鮮やかな日本語で話しかけてくれた。写真は自宅到着直後、まだ背広姿の金大中氏だ。

もう1人の韓国の民主化指導者、金泳三氏も自宅軟禁状態だったが、公安当局が見張っている隙(すき)を縫って金大中氏を訪ねてきた。固い握手を目の当たりにし、2人の民主化にかける闘志が伝わってきた。

公安の監視も金泳三氏には緩やかだった。後日、金泳三氏からの電話で監視が緩んだとの連絡を受け、自宅でインタビュー取材もできた。

1987年の大統領選は、軍事政権でありながらも柔軟な姿勢を見せる与党の盧泰愚候補とどう対決するかで2人は袂(たもと)を分かつことになった。結局、2人とも立候補し、盧泰愚氏が大統領に選出された。

1992年の大統領選では、金泳三氏が金大中氏を破って大統領になり、1998年に金大中氏が韓国の大統領になったが、「親米、反北朝鮮」の金泳三氏と、「反米、親北朝鮮」の金大中氏は対立を続け、現在の与党ハンナラ党と野党民主党の対立に引き継がれている。

今年5月、盧武鉉前大統領が自殺した。大統領時代の不正蓄財を検察当局が捜査している最中の死だった。韓国世論は、事実の究明よりも検察の追及が行き過ぎたと批判を強め、ついに検察当局のトップが辞任した。批判は李明博政権にまで及び、ハンナラ党は野党民主党の追撃を受けている。

金泳三元大統領による金大中元大統領の突然の見舞いは、かつての盟友に和解と最後の別れを告げるためだったのか、それとも金大中氏の死去による政局への波紋を和らげたいという意思があったのだろうか。

写真1:金大中氏(自宅にて 1985年)


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