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〔22〕台湾海峡を横断していた知られざる旅客フェリー 小牟田哲彦(作家)

〔22〕台湾海峡を横断していた知られざる旅客フェリー 小牟田哲彦(作家)

〔22〕台湾海峡を横断していた知られざる旅客フェリー

第2次世界大戦まで日本の領土だった当時の台湾へは、日本本土のみならず、中国大陸からも旅客航路が多数設定されていた。昭和12(1937)年に発生した盧溝橋事件以降は多数の航路が休航扱いになったが、『台湾鉄道旅行案内』の昭和15年版によれば、基隆から厦門(アモイ)と上海を結ぶ航路は旅客営業を実施している。日露戦争によって日本が租借地とした遼東半島の大連へも、台湾と満洲を直結する日本の準国内航路(台満連絡船)が設定されている。

これらの直通航路は、第2次世界大戦が終わって中台間の対立が始まると姿を消した。21世紀初頭に「三通」(通商、通航、通郵)と称する相互交流政策の一環として、直行の客船や航空便が認められるようになったが、それまでは、1997年までイギリスの植民地だった香港を経由する航空便が、中台間を往来する旅行者のメインルートだった。

だが、実は航空便以外にも、台湾海峡を横断する定期旅客船が1990年代末まで存在していた。日本人を含む外国人観光客も乗船できたので、那覇と基隆とを結ぶ旅客フェリーを使えば、日本から飛行機を使わずに台湾経由で中国大陸へ渡ることも可能だった。

その旅客船の存在は、かつて世界中の旅行者が愛用したトーマスクック社発行の時刻表に見ることができる。トーマスクックの時刻表には、ヨーロッパ全域の鉄道ダイヤを網羅するバージョンのほかに、ヨーロッパ以外の世界全域をカバーする「Oversees」(海外版)が発行されていた。その1995年11~12月号に、台湾の高雄とマカオを結ぶ定期旅客航路の時刻と航路図(画像参照)が掲載されているのだ。

運航会社は「Macmosa Company」。高雄からは毎週月・木曜の16時、マカオからは毎週水・日曜の午前2時に出港し、24時間かけて750kmを横断する運航スケジュールになっている。1等の船賃は船内で4回の食事代を含めて3,000台湾ドルとのこと。以上が、この台湾海峡横断客船の運航情報の全てである。

このような航路が定期運航できたのは、マカオがポルトガルの海外領土であり、香港との直通航空便と同じく、台湾側としては「中国大陸との直行禁止」の建前に抵触しなかったからであろう。しかも、香港を統治していたイギリスは新中国を建国直後の1950年に国家承認したのに対し、マカオを領有していたポルトガルは1979年まで台湾の中華民国政府と国交を持っていた。かつての台湾にとっては、香港よりマカオの方が身近だったのかもしれない。

その後、マカオは1999年に中国へ返還された。その半年後に刊行されたトーマスクックの海外版時刻表2000年7~8月号には、地図に航路の線は描かれているが、時刻欄には「Service suspended」(サービス停止)と記載があるだけ。運航会社名も消えている。マカオ返還がきっかけだったのか、旅客フェリー事業そのものの衰退が原因だったのかは定かでない。


《100年のアジア旅行 小牟田哲彦》前回

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