第369回 若葉の季節の代々木倶楽部 伊藤努

第369回 若葉の季節の代々木倶楽部
陽光に照らされた若葉がまぶしいある初夏の午後、人生の大先輩と密かに尊敬するHさんに誘われて、旧知のご夫妻と一緒に4人で会食する機会があった。広大な代々木公園に隣接する大企業の研修施設にあるレストランで、気ごころの知れた者同士ということもあり、会食の席の話題が弾んだ。今回も取って置きの情報があったので、私事ながら会食でたまたま知った話題をご紹介したい。
人生の先輩として敬愛するHさんに誘われて、元勤務先の会社研修施設というこのレストランで会食するのは6年前に続いて2回目だが、前回の会食は互いに知り合いになった直後ということもあって、かすかな記憶となっていた。この間、年齢の差はありながらも、仕事上のやりとりが密で公私とも親しくお付き合いいただく間柄になり、6年ぶりの研修施設のレストラン再訪はHさんとの得難い交友を振り返る格好の機会ともなった。
前置きはそれくらいにして、お招きいただいたのはわが国で最も大きな製鉄会社の研修施設として使われている元々は職員およびその関係者が利用する研修施設兼福利厚生施設で、レストランも併設されている。現在のような企業の研修施設に改修される前は、明治時代の某公爵の邸宅だったとかで、広大な敷地にある庭園にはさまざまな樹木が植栽され、ツツジが見ごろの庭は文化財に指定されるほどの由緒ある風景をつくり出していた。
さて、わが国で最大手製鉄会社の職員および退職者ら関係者向け専用施設となっている個室では、一流の腕前の料理長の和食を堪能したが、メニューに記載された日本酒の銘柄には驚いた。全国各地に製鉄工場を持つ大企業らしく、工場のある土地ならでのは日本酒の銘柄がすべて記載されていることで、普通の飲食店ではまず考えれないドリンク・メニューだろう。筆者たちは相談の上、兵庫県の醸造元の「菊日鐵」を注文した。アルコール類に目がない筆者は早速、Hさんを質問攻めにし、なぜこのような奇妙な日本酒のメニューがあるかを聞くと、かつては長く、過酷な労働現場だった製鉄会社ならではの社員気質を詳しく話してくれた。製鉄所では、鉄鉱石を熱し、マグマのような高温の溶けた鉄を扱う仕事の関係から、労働者は勤務を終えると工場近くに軒を連ねる酒屋で、塩を肴に升酒をグイと飲む習慣があり、そうした伝統が東京にある研修施設でも連綿と引き継がれているのではないかと教えてくれた。
会食に同席した若いNさん夫妻は、製鉄会社を中途退社後にベトナムで経営コンサルタントとして独立したHさんの駐在員仲間だが、筆者も、ベトナムを含め東南アジアの投資事情に詳しいNさんの仕事ぶりはよく存じ上げている。広い意味での同業者だ。海外経験も豊富なそのNさんがすでに仕事上の実績、知識、能力を十分持ちながら、今、某有力私大の大学院で博士号取得の研鑽を積んでいることを聞き、その熱意に驚かされた。博士論文のテーマは「東南アジアの経済変動」ということで、社会学的なアプローチを試みるのだという。W大大学院での指導教官は個人的に存じ上げるS教授だったが、副担当の教官が筆者の大学時代の恩師の次男で子供のころから知っている中嶋聖雄准教授ということで、人生の出会いの不思議、縁というものを改めて経験したのである。