第281回 戦乱や内戦で経済発展に出遅れたアジアの国々 伊藤努

第281回 戦乱や内戦で経済発展に出遅れたアジアの国々
前回の日本の経済発展段階と比較した外国観察の続編となるが、今回はアジアの幾つかの国を引き続き取り上げたい。
タイのバンコク駐在時代によく訪れたのが周辺のカンボジア、ベトナム、ミャンマーといったアジアの大河、メコン川流域にある国々だ。この3国では、ラオスを加え、ミャンマー(ビルマ)の経済発展が大きく出遅れており、それに続くのがカンボジア、ベトナムの順だろう。
ミャンマーは数年前まで、軍事政権による民主化勢力の弾圧が続いていたため、欧米諸国の経済制裁の対象にもなり、国内経済は随分と立ち遅れていた印象が強い。かつての首都で最大都市のヤンゴンにはとても中央駅と言えないような鉄道駅があり、出張時に空き時間があったのでビルマ人の助手と一緒に、ヤンゴン中央駅から2両編成の「環状線」に乗ってみた。もちろん単線で、老朽化した列車の速さは時速20キロ前後ののろのろ運転。車窓を見ると、都市計画からは外れた小屋のような木造家屋が点在し、その風景は日本の戦前の昭和時代前期の様子、雰囲気を思い起こさせた。ヤンゴン市内を走り回っている自動車も乗合バスを含め9割方は日本製中古車で、車体の塗装部分には日本語で会社の名前などが書かれている。それもあってか、ヤンゴンにいると、昭和20年代から30年代の日本の風景にタイムスリップしたような気持ちになった。そのミャンマーも民政に移管し、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが政治活動を許され、経済復興も緒についたのはうれしいニュースだ。
かつてはクメール民族のアンコール王朝を築いた末裔の国であるカンボジアも長く続いた戦火と内戦で国内経済は疲弊し、国造りが安定軌道に乗ったのはこの10年ほどのことだ。首都プノンペンはかつてのフランス植民地だったこともあって、欧州風建造物が点在する印象深い都市の造りだが、発展が遅れたこともあって高層ビルなどはまだ少ない。プノンペンから地方に向かえば、幹線道路などがようやく整備され始めた段階で、日本との比較で言えば、昭和30年(1955年)前後の発展レベルにとどまっている印象を受ける。以前は首都中心部にお粗末な売春宿が立ち並ぶ一角があり、外国人旅行客の目にも触れたものだが、さすがに今では、美観を損なうとして撤去されたのではないだろうか。
カンボジアとの関係が必ずしも良好ではない隣国のベトナムは、かつてのベトナム戦争で大国の米国を打ち破った自主独立の気風が強いインドシナ半島の有力国だ。南部のホーチミン市(旧サイゴン)、中部の古都ダナン、北部にある首都ハノイがこの国の3大都市だが、商都のホーチミン市が繁栄を謳歌しているのと比べると、ハノイ、ダナンの都会の様子は地味な印象を受ける。50を超える少数民族が居住するベトナム全体の発展段階を総合評価すると、大都会を除く地方は昭和30年代以前の発展段階にとどまっているように思われる。日本では昭和30年代に東海道線などの主要鉄道路線に特急列車が運行されるようになり、東京五輪が開催された昭和39年(1964年)に「夢の超特急」といわれた新幹線が東京~大阪間で開業したが、単純に鉄道の発展の比較で言えば、ベトナムはまだ昭和20年代以前あるいは戦前のレベルにとどまっていると断言できる。
南アジアではパキスタン、スリランカに取材旅行で赴いたことがあるが、経済の発展段階や鉄道などのインフラ整備の状況で比べると、日本の昭和30年(1955年)前後だろうか。単純計算すると、半世紀以上、より正確には60年近い発展段階の差が付いているが、これは総じて工業分野の比較の反映という意味合いが強い。軍事クーデターが繰り返されたパキスタンは現在、イスラム過激派によるテロが頻発し、スリランカは数年前まで、多数派のシンハラ人主導政府と少数派タミル人の分離独立派の間で内戦が20年以上にわたって続くなど、戦火が絶えることはなかった。アジアでは群を抜く経済発展を成し遂げた日本が戦後、戦乱や動乱に巻き込まれることはなかった。日本はアジアでは特異な平和国家であることがこんなアジアの国々との比較、観察からも分かるのである。