第225回 ラジオ番組で好きな勉強再開 伊藤努

第225回 ラジオ番組で好きな勉強再開
BS番組の普及でテレビのチャンネルが増えたり、アナログ放送からデジタル放送の移行で画面が鮮明になったりと、視聴者にとっては便利な時代となった。恩恵を感じている方も多いだろう。だが、その一方で、大きな技術革新とは反比例する形でテレビのコンテンツ(番組、内容)は面白くなくなったという声をあちこちで聞く。タレントやお笑い芸人の仲間うちのおふざけのような番組が多過ぎるのがその一例だろうか。
筆者も、特にBS放送で世界の紀行番組や動物の未知の生態を活写したドキュメンタリー番組などでは楽しませてもらっているものの、テレビがつまらなくなったと感じている一人だ。そんなわけで、内容が硬いといわれるかもしれないが、番組制作者や出演者の良心的姿勢を感じることが多い公共放送局のラジオ番組を聴く機会がめっきり増えた。昼間は会社の仕事があるので、ラジオを聴くことはできない。聞くのは就寝前の深夜や出勤前の早朝、あるいは週末の自由な時間と時間帯はおのずと限られる。
そんなお気に入りのラジオ番組で病みつきになりそうなのが、「NHK第2」の高校講座や文化講演会、朗読といった、どちらかと言えば地味な番組だ。女子大で古典を教える先生が講師の「漢詩をよむ」(30分)も、中国や日本の有名な漢詩の創作の背景、鑑賞方法をやさしく教授してくれ、とても勉強になる。これに似た番組が高校講座の古典の授業(20分)だが、何十年も前の高校時代に同じ古典・漢文の授業で習ったはずなのに、講座担当の先生から新たな意味合いや解釈を聞き、目からうろこが落ちることもたびたびだ。
次いでに記せば、最近の朗読の番組で取り上げられた日本の有名作家、M氏のギリシャ紀行の作品は非常に興味深かった。視覚から入ってくるテレビの紀行番組とはまた違う趣きが、ラジオの朗読番組にはあると思ったものだ。男性俳優が朗読で読み上げるギリシャの田舎の港町、寒村、場末のカフェーや食堂での地元の人々と旅人の作家夫婦との交流の様子が、想像とともに膨らんでいく。ギリシャは宗教が異なる北方のトルコとの長い抗争の歴史を持つが、作家が訪ね歩く先々には戦争のつめ跡や逸話が多数残され、歴史的時空を飛び越えた想像の世界もある。
まだ10代の高校生の時分は、世界史や古典などの授業で習った知識はあくまでも試験対策のためという側面が強かったように思う。そのときよりは少しは人生経験を積んだ現在は、ラジオ番組で取り上げられる教材やテーマはもっと身近に感じ、理解もしやすい。高齢化時代を迎え、社会での第一線を退いた後の時間はたっぷりあるが、その使い道の一つとして、ラジオのお気に入りの高校講座や教養番組などで知識を増やすのも悪くない。どちらかと言えば、受け身のテレビの視聴とは違って、一生懸命耳を傾ける必要があるので、老化の防止にもなりそうだ。