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第221回 タイ深南部のイスラム過激派 伊藤努

第221回 タイ深南部のイスラム過激派 伊藤努

第221回 タイ深南部のイスラム過激派

日本人観光客にも人気のタイの「深南部」と呼ばれるパタニ県など4県では、特に2004年以降、国境を接する隣国マレーシアのマレー系イスラム武装勢力による襲撃、爆弾テロ事件が頻発し、これまでに一般市民を含め5000人以上が死亡している。仏教国タイが抱える国民統合問題の難しい一端をのぞかせるが、今年に入って、同国政府が複数あるイスラム武装勢力の一つと和平交渉に入ることで合意した。タイ政府が、テロを強行してきた武装勢力側と和平交渉の開始で合意したのは初めてで、マレーシア政府の仲介で合意が実現した。今後の和平交渉が注目される所以だ。

タイ南部の4県(パタニ、ヤラ、ナラティワート、ソンクラの各県)とマレーシアのクランタン州などを含む国境地域は14世紀から19世紀にかけ、マレー系王朝で最も早くイスラム化したといわれる「パタニ王国」が統治していた。こうした歴史を背景に、その後、現在のタイ王国に併合された南部4県を中心にイスラム教徒のマレー系住民が分離独立運動を展開。分離独立派が武装闘争に乗り出したのは今から半世紀以上も前の1960年前後で、武装勢力は、交渉入りで合意した「パタニ・マレー民族革命戦線」(BRN)のほか、「パタニ統一解放機構」(PULO)、「パタニ・イスラム解放戦線」(BIPP)があり、これらを合わせて1万人近くが非合法活動を行っているとみられている。

国境地域に少数民族を抱えるタイ政府は、ベトナム戦争が終結し、インドシナ半島情勢が徐々に落ち着きを取り戻した1980年以降、国民統合政策の一環として同化策を進める一方、非合法活動を展開していた共産勢力や分離独立派には厳しい姿勢で臨み、武装勢力各派も壊滅状態となった。

筆者がタイに駐在していた1990年代後半は、深南部情勢も平穏で、ミャンマーと国境を接する北部の少数民族の同化政策の成功と相まって、マレー系住民も現地では少数派の仏教徒住民と共存・共栄の生活を営んでいるように思われた。結局、4年余りの特派員時代にイスラム教徒住民による分離独立の動きに関する原稿は一本も書いていない。

事態が動き出したのは、タクシン首相(現在のインラック首相の実兄)が2004年にイスラム武装勢力の取り締まりを強化したためだ。これに対し、武装勢力側は南部各地でタイ国軍の施設を襲撃し、武器を強奪するなどのテロ事件を相次ぎ起こし、双方に多数の死傷者が出た。特に同年10月には、治安当局に身柄を拘束されたイスラム教徒住民78人が軍の搬送中に窒息死するという政権側の不手際があり、これを機に武装勢力側の報復とみられる襲撃の標的は仏教徒住民や学校の教師らへと広がっていった。

イラクやアフガニスタンなどで頻発するテロでは、武装集団が犯行声明を出すのが通例だが、タイ南部の武装勢力は自らの組織を名乗らず、犯行声明も出さないため、報復攻撃という以外にテロの目的や狙いははっきりしていない。ただ、壊滅状態だったタイ南部のイスラム武装勢力が反転攻勢に打って出てきた背景には、2001年9月のアルカイダによる米同時テロを機にアフガンやイラク、東南アジアの各地に拡散したイスラム過激派の動きに触発された可能性は排除できない。東南アジアではほぼ同じ時期、アルカイダとのつながりが指摘される武装集団がフィリピンやインドネシアで大規模テロや外国人誘拐事件を繰り返して武力闘争を激化させており、タイ南部での動きとも重なる。

それにしても、首都バンコクに5万人の日本人が住む平和的なタイの一角で、激しいテロが繰り返されている事実に改めて驚かされる。

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