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第518回 バンコクの日系デパート戦争  直井謙二

第518回 バンコクの日系デパート戦争  直井謙二

第518回 バンコクの日系デパート戦争

今年の8月をもってバンコク・ラチャプラロップにある日系デパートの伊勢丹が閉店することになった。1992年に開店し28年間にわたり在留日本人やタイの富裕層などに親しまれてきた。筆者自身、何度も訪れ食料品や老眼鏡それに洋服などを購入した。最果ての国の空港で日航機を見かけるのと同様、どこか安心する気分になる場所だった。

92年といえば日本はバブル末期、タイは高度成長期だった。伊勢丹といえば2010年、タクシン元首相を支持する赤シャツ隊と規制勢力を支持する黄色シャツ隊が激突し、赤シャツ隊のUDD反独裁民主統一戦線のデモ隊が伊勢丹の入るセントラルワールドビルに放火し一時営業停止追い込まれた事件が記憶に残る。

3年ほど前、久しぶりに伊勢丹で土産物を買ったが、新たに入居したショッピングモールに押され以前の華やかさに欠けるという印象を持った。

ところで日系デパートとしてタイに一番に進出したのは大丸だ。開店は1964年で本店は道路を挟んで伊勢丹の向かい側にあった。当時珍しかったエスカレーターが設備され「ダイマルー」と語尾を上げて呼ぶバンコクっ子にはあこがれの存在だった。買い物のついでに「瀬戸」という」当時珍しかった日本料理店があり立ち寄るのを楽しみにしていた。筆者の社宅で働いていたお手伝いさんは大丸から帰ると店が提供してくれる買い物袋を欲しがった。休日に大丸の文字が付いた紙袋を持って遊びに行くのがトレンドだったようだ。

85年突如としてバンコクデパート戦争が起きた。そごうと東急が相次いで出店、老舗の大丸との間で三つ巴のデパート競争が始まった。タイでも人気が出始めていたドラえもんなど子供向けキャラクターを駆使して各店ともPRに余念がなかった。いち早く撤退したのが老舗の大丸で続いてそごうも撤退した。東急は地の利を生かして営業を続けた。

2018年11月、チャオプラヤ川をはさんでトンブリサイドに巨大なショッピングモールが誕生した。コメの集積地跡に建てられたアイコン・サイアムのなかに高島屋が開店した。食料品の品ぞろえの豊富さは日本のデパ地下に匹敵する。

80年代の日系デパートと比較するとタイ人客が圧倒的に多く、タイの所得の伸びを実感させられる。久しぶりに日系デパートの競争が始まると思った矢先の伊勢丹の閉店は残念だ。
タイ人の所得が伸びていることから在留日本人からタイ人へのターゲットのシフトが急速に進んだことが影響しているようだ。

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