第187回 「おしんドローム」時代の頃 伊藤努

第187回 「おしんドローム」時代の頃
このコラムのタイトルは「アジアの今昔・未来」だが、今回も昔のエピソードの紹介となるのをお許しいただきたい。題して「『おしん』を好んだベトナム最高指導者」。
「おしん」はご存知のように、1983年(昭和58年)4月から翌年3月にかけて放映されたNHKの朝の連続ドラマで、明治、大正、昭和の3代を生きた主人公、おしんの苦難に遭いながらも、決してあきらめない一生を描いた物語だ。山形出身のおしんは生家が貧しいため幼少期に奉公に出されるなど、さまざまな苦労を重ねるが、常に前向きの生き方を貫き、そのときどきに出会った恩人への感謝を忘れない。明治生まれの日本人の1つの典型のような人生を生きた主人公だが、これがバブル前夜の日本で大ヒットし、最高視聴率は何と63%近くを記録した。
「おしん」は後に世界各国でも放映され、多くの外国人が見たが、日本の昔の時代と人間を描いたドラマが広く共感を呼んだのも意外だった。症候群を意味する英語のシンドロームに引っ掛けて「おしんドローム」なる流行語も出たが、興味深い人間観察を盛り込んだ映像作品は国境を越えて理解されるという好例だろう。
以前、スリランカ(旧セイロン)を取材旅行で訪れた際、滞在先のホテルのチャンネルを回すと、突然、見たことのある「おしん」が放映されていて驚いたことがある。字幕付きだったが、明治時代の貧しい地方の生活の様子や主人公の貧相な身なりなどを見て、スリランカの人たちがこれをどう理解するのかと興味を覚えたことを思い出す。
さて、爆発的ヒットをした朝の連続テレビドラマのファンだったのが、1990年代後半にベトナムで最高指導者だったド・ムオイ共産党書記長である。1996年にベトナム共産党大会を取材した際、会議の休憩時に会議場のバー・ディン会堂の中庭に出てきた書記長に語り掛ける機会があった。「おしん」の放送を毎回見ていると聞いていたので、「なぜ『おしん』が好きなのか」と尋ねたところ、「ベトナムは貧しい国で、戦争などでいろいろと苦難もあった。『おしん』の生きた時代やその生き方に共感する」という返事が返ってきた。日本人記者の質問に誠実に答えてくれたド・ムオイ氏の人柄がその言葉から伝わってきた。
「おしん」はもちろん、ベトナムでも放映されていたのだが、共感を覚えたのはやはり、ド・ムオイ氏に代表される戦争・革命世代の高齢者で、若い世代には理解は難しいだろう。この国では近年、日本のドラマよりは韓流と呼ばれる韓国のテレビドラマの方が人気が高いという。日本でも平成になってから24年がたち、昭和はだんだんと遠くなりつつある。「おしんドローム」も時代の背景があって初めてそうした現象が起きたのだろう。