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第126回 3年目の四川大地震の現場 直井謙二

第126回 3年目の四川大地震の現場 直井謙二

第126回 3年目の四川大地震の現場

東日本大震災から4カ月以上経つが、復興は思うように進んでいない。7月初旬、中国の四川大地震の被災地を訪れた。四川省のチャン族自治区を震源とした大地震
が起きたのは2008年5月12日の午後2時過ぎだ。

四川大地震もプレートの圧迫による地殻変動が原因で起きたが、死者・行方不明者が9万人を超し、学校の倒壊による生徒の死者も多かった。被害が最も大きかった汶川県の被災地を訪ねる予定だったが、あいにく豪雨に見舞われ、道路が土石流に覆われたため、2万人の死者を出した北川県を訪ねた。

被災地に入ると巨大な堰が目を引くが、震災から4カ月たった9月末に大規模な土石流が発生し、復興に当たっていた人々を襲った二次災害が発生したため、造られたという。地震と土石流に襲われやすい地域ということだ。

周りを見上げると岩山が切り立ち、道路のあちこちに巨大な岩が落ちている。震災を忘れないために撤去されずに残された岩だ。大地震と土石流で壊滅状態となった町に入ると、あちこちに無残な姿をさらけ出しているビルが点在している。

いまだに6000人が倒壊した巨大な瓦礫の下に取り残されているが、被害の状況を保存するため、傾いて残ったビルに支えを設置し、被災公園として保存されている。(写真)

第168回 直井.jpg

北川県の山間には山岳少数民族チャン族が住んでいて、被災者のほとんどがチャン族だった。チャン族は古代から独特の文化を維持し、農業や羊の牧畜で生活してきた。また、井戸掘りと石造建築の技術に長け、被災地にも崩れた石造の家が見られた。

中国政府は四川大地震の復興に異例の速さで取り組んだ。被災現場はもはや復興不可能と判断、地方政府が新しい町の候補地などを中央政府に上げ、中央政府の判断で3年を目途にした復興計画を策定、直ちに実行に移し、2年でほぼ計画を実行に移し終えたという。

新たな場所に建設された街並みを見学したが、チャン族の文化を重視した石造りの家が立ち並び、新生活がすでに落ち着いている様子をうかがわせていた。

東日本大震災に苦しむ日本へのアドバイスを求めたのに対し、復興を担当した県職員は政治体制の違いがあると前置きした上で、被災者が望むのはまず自宅、次に病院や学校など公共施設、そして社会的な保障だと語る。

民主化、人権など欧米諸国から非難されることが多い中国だが、四川大地震の復興のスピードは称賛されていい。

写真1:公園になった北側県の被災地

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