第627回 自然豊かな暮らしか便利な都会暮らしか(上) 伊藤努
第627回 自然豊かな暮らしか便利な都会暮らしか(上)
日本では、公共交通網や各種商業施設が整い、日常生活に便利な都会暮らしに憧れる人はもちろん多いが、その行き過ぎに対する反動か、近年は自然豊かな暮らしを取り戻したいという人も増えている。日本の場合、国民総人口の実に1割強に当たる1,300万規模の首都・東京をはじめ、大阪や名古屋など大都会への人口集中によって、大都市でマイホームを持つことも不動産価格の上昇などによって難しくなっている。その一方で、東京など首都圏周辺に点在する中規模な都市が都会で働く人々のベッドタウン(近郊住宅地)となり、東京一極集中現象も少しはペースダウンする動きが見られるようになった。
自然豊かな暮らしをしたいと考える人が具体的な生活設計を検討する上で、幾つかの選択肢がある。一つは、日本における急速な少子高齢化の動きとともに深刻化しつつある地方の過疎化、農業従事者の高齢化に伴う田畑放棄に追い込まれる限界集落化などを食い止める方策として、若者や若い世代の家庭による積極的な地方移住の推進だ。人口減に直面する地方の小さな自治体にとっても、若い年代層が働き手として居住してくれるようになれば、過疎化の動きを止め、市や町を再び活性化させることも可能となってくる。
もちろん、地方の小都市や町に若い世代を呼び寄せるには、生活していく上で欠かせない働き場、すなわち仕事と生活に必要な糧(かて)となる賃金を確保する必要がある。こうした面では、自然と接する機会の多い漁業や農業など第一次産業に就きたい希望者には、日本各地の地方自治体が魅力ある条件を出して、勧誘活動を活発化させている。近年、地方への移住をテーマにしたテレビ番組などが増えているのも、移住を希望する若者や若い世代のカップルが多くなりつつあることを物語っている。
◇東京のベッドタウンとなった千葉・木更津の例
自然豊かな生活をしたいと考える人の第2の選択肢は、まだ山林や河川など多くの自然が残されている東京など大都会の周辺のベッドタウンに住むことだろう。近年、JRや私鉄の鉄道会社、バス事業を展開する会社による幹線交通網の整備によって、東京からかなりの遠距離であっても、都会の勤務先に通勤することが可能となりつつある。例えば、首都圏の場合、東京からさまざまにある新幹線網を利用すれば、長野県の軽井沢や栃木県の宇都宮、静岡県の三島、沼津あたりからも東京圏に通勤することができる。東京湾を挟んで、東京都と神奈川県の対岸にある港町・木更津市も東京アクアラインの開通などによって首都圏への時間的距離はぐんと縮まった。
千葉県をエリアとする房総半島の玄関口だった木更津はかつては、漁港や春の潮干狩り、房総にある幾つかの観光スポットの経由地として知られているにすぎず、東京から木更津に行くにはJR東日本の内房線や対岸の川崎と結ぶ大型フェリーなどを利用するしかなかった。行くには、2時間前後かかってしまう。それが現在では、バス会社が東京湾をひとまたぎする東京アクアラインを利用した東京の玄関口・品川行き、神奈川県東部の川崎行きの大型バスを運行するようになり、一挙に通勤圏となった。
◇児童生徒が急増、週末は里山体験学習
東京の都心部にある小学校や中学校の生徒数が大幅に減少し、周辺学区の学校の統廃合が進むのとは対照的に、木更津の小・中学校では首都圏のサラリーマン家庭の引っ越し・移住が増えた結果、児童・生徒数が急増し、既存の校舎だけでは間に合わず、プレハブの仮校舎を相次いで建てざるを得なくなっているそうだ。
漁業の町の印象が強い木更津だが、周辺には山林などが近くにある里山も多くあり、市内の学童たちは男の子も女の子も週末になると、里山体験学習といった形で畑仕事や地元の食材を使った料理をすることができる仕組みもできつつある。この里山体験学習は、極力、子供たちの創意工夫に任され、見守る大人、つまり子供の親たちは周辺の山林で不要になった樹木の伐採や林道整備といった形で里山の保全役に回る。こうして、子供たちの週末の自然体験に関わる形で地域の大人たちも里山保全で汗を流し、地域社会の絆が深まるという新たな成果も上がっている。
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