第91回 アジア競技大会の舞台裏 伊藤努

第91回 アジア競技大会の舞台裏
先の広州アジア競技大会での日本人選手の活躍やサッカーの好試合などを新聞やテレビで見ていたら、12年前のバンコク・アジア大会のことを思い出した。1998年当時、バンコクに特派員として駐在していたので、出張でタイに大挙してやって来る東京本社の取材班が仕事をしやすいようにと、アジア大会の各種競技の取材態勢の設営を担当したからだ。東京からはシステム担当者やカメラマンを含め十数人の取材班がバンコク入りしたが、彼らがプレスセンターや競技会場の間をスムーズに移動できるようにするため、専用車と運転手の手配やら、記者の仕事をサポートするタイ人の助手兼通訳探しといった具合に、かなり大掛かりな準備となった。
大会開幕直前の全員を集めての打ち合わせから始まり、目の回るような連日の本番の競技取材は比較的スムーズに運び、大会閉幕後には反省会を兼ねた慰労の宴もささやかに行った。記者たちは現地のタイ人スタッフの労を心からねぎらってくれた。ロジスティック担当としてはまずまずの仕事をこなし、ホッと一息ついたことを昨日のことのように思い起こすが、アジア大会の取材などを通じて印象に残ったのは、スポーツ担当記者、カメラマンがいずれもすごいバイタリティーの持ち主だということだった。
朝から夜遅くまで長時間の各種競技を取材しながら、メダリストへのインタビューや監督らの談話取り、記録の送稿、原稿執筆と仕事は山ほどある。それも比較的短時間に終えなくてはならない。特に日本人選手が金メダルや銀メダルを取った場合は、選手紹介の原稿は大きな扱いとなる。記者はそのような扱いの原稿を執筆するために、事前の周辺取材も済ませておく必要がある。事前取材で得た選手のエピソードや苦労話を原稿に盛り込めば、記事に奥行きが増す。
そんなハードな仕事をこなしながら、その日の仕事を夜遅くに終えた運動記者たちは連日連夜、「あすの打ち合わせ」と称してバンコクの繁華街に消えていく。翌日も競技は早くから始まるので、宿泊先のホテルも早朝に出なければならない。恐らく、大会期間中の睡眠時間は連日3~4時間しかなかったのではないか。
一仕事をやり終えた出張の運動記者たちは大会終了後、帰国するまでのわずかな時間を割いて、ゴルフコンペを開き、連日の取材の疲れを吹き飛ばしていた。筆者なら激務の取材が終わった後は、「爆睡」で疲れを取るところだが、ゴルフに興じる運動記者のバイタリティーに脱帽した。普段から一流のアスリートに身近に接していることも関係があるかもしれない。記者の生態は部署によって随分と違うものである。