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第436回 上智大学石澤良昭教授がマグサイサイ賞受賞(下)  直井謙二

第436回 上智大学石澤良昭教授がマグサイサイ賞受賞(下)  直井謙二

第436回 上智大学石澤良昭教授がマグサイサイ賞受賞()

石澤教授の記念講演に続いて上智大学の丸井雅子教授とアジア人材養成研究センターの三輪悟研究員を交え中央大学の高橋宏明教授の進行でパネルディスカッションが行われた。
注目されたのは現在石澤教授が育てたカンボジア人の学者や石工と上智大学が協力して行われているアンコールワットの西参道の修復作業の報告だ。

1930年代、かつて宗主国だったフランスの手でアンコールワットの本堂に向かって右側半分の参道が修復されたが、その後のベトナム戦争やカンボジア内戦で左側半分は放置されたままだった。上智大学のアジア人材養成研究センターは1996年から左半分の修復を開始し2007年までに第一期工事を終了している。2016年からは第二期工事が開始された。

パネルディスカッションで丸井教授が興味深い発言をした。「壊れかかっている西参道を調査したところ修復の跡が見られ、中からアンコールワットの建造物の破片と共に明代の皿が出土した」というのだ。一般的には13世紀、ジャヤバルマン7世の治世で最盛期を迎え、その後徐々に衰退しまもなくアンコール王朝はアンコールの地を去ったとされている。それから19世紀半ばにフランスの冒険家アンリムオが地元の伝説を基に発見するまで長い間アンコールワットはジャングルの中に埋もれていた。14世紀半ばから17世紀半ばまで栄えた明の皿が出土したということはアンコール王朝が都を捨て去ったあとアンリムオが発見するまでの間に主のいない荒れ果てたアンコールワットの参道を誰かが修復した可能性があるということだ。パネルディスカッションでは様々な討論があったが、この謎が頭から離れない。

式は祝賀パーティに移った。謎が頭を巡り落ち着かないまま会場となっている隣のホテルに着いた。講演会から一転、華やかな雰囲気の中で祝賀会が始まった。関係者の顔が緩み、石澤教授の挨拶が終わり乾杯の声が会場に響いた。(写真)すばらしい酒と食事が並び筆者もご馳走になった。

石澤教授の周りには一言お祝いの言葉をかけようと大勢の人が列を作った。筆者の番になったので華やかな雰囲気にそぐわないと思ったが、謎の修復作業を質問してみた。石澤教授は「フランスによる西参道の修復は1930年代ですから謎の修復はフランスによるものではありません。誰がいつごろフランスより先に修復したかは今も謎です」と答えられた。

アンコールの謎は深くそして興味をそそられる。

 写真:マグサイサイ賞受賞祝賀会で石澤教授の挨拶


《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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