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第553回 ボート競技をめぐる幾つかの奇縁(下) 伊藤努

第553回 ボート競技をめぐる幾つかの奇縁(下) 伊藤努

第553回 ボート競技をめぐる幾つかの奇縁(下)

筆者の学生時代のボート競技のちょっとした出会いを紹介した本欄のコラムを読んだ関西在住の教員の知人から興味深い感想メールが届いたので、「幾つかの奇縁」の追加ということで紹介させていただきたい。メールを送ってくれたのは、兵庫県の県立高校で長く社会科教諭を務めながら、港町の神戸を中心とした関西圏の文化・社会史に詳しい郷土史家の石戸信也氏である。石戸さんは京都の大学を卒業後、神奈川県で高校教諭の一歩を踏み出した方であり、その勤務校でのボート競技との出会いといい、前回のコラムで紹介した筆者の高校時代の後輩と同じ大学漕艇部OBとの教員同士の出会いといい、「奇縁」が多いことに驚かされた。今回も知人の石戸氏の感想メールをまず紹介させていただく。

「伊藤先生 私は中学・高校と陸上競技部で、駅伝の選手でした。高校2年の夏には、西宮 市内の仲間約20人と神戸商船大学(当時)の練習用カッターを払い下げてもらい、約1週間かけて大阪湾一周をしました。マストも立てセーリングもしましたが、風のないことが多く、ほとんど7―8メートルの太いオールで漕艇していました。神戸は明治初期から外国人居留地の外国人たちによる漕艇が盛んで、(明治時代初頭の)1870年頃の艇庫前集合写真を発見したこともあり、地元紙の神戸新聞で大きく出ました。

1908年の神戸での英国人女性のクリケットチームの集合写真。当時の神戸では、ゴルフ、ボートなど多くのスポーツが日本に紹介された(郷土史家の石戸信也氏の提供写真)

明治時代、神戸と横浜の外国人はよく「インターポートマッチ」をしていました。西宮のヨットハーバーはかつて堀江謙一さんが太平洋ひとりぼっち横断の出港地であり、高校生の頃の私はその影響もありました。親族が旧海軍の潜水艦にいたことがあり(戦死。海軍の制服姿の写真1枚しか残っていませんが)、神戸港の汽笛を聴きながら育ち、今も部屋の窓の外には神戸港がパノラマで広がっていますので、漕艇で、まだ関西空港もなかった大阪湾をのんびり周回したのは良い思い出です。

大学は京都でしたので、琵琶湖に行くことも多く、同志社は湖岸にセミナーハウスを持ち、瀬田ではレガッタが盛んでした。琵琶湖周航歌の世界です。神奈川県の県立高校に赴任すると、そこはボート部があり、近くの相模湖に艇庫がありました。埼玉県戸田など各地の漕艇場に生徒は出かけ、自前の遠征用バスもありました。インターハイや国体、さらには世界大会まで多くの選手が出ました。当時、公立高校に本格的なボート部は珍しく、今思えば、これも良い思い出です。

駅伝や漕艇(瀬戸内海ではシーカヤック、カヌーもしました)、ラグビーと、若い時分にはいろいろなスポーツをしてきましたが、体格は小さくてもファイトだけはあり、後年、高校の社会科教諭の課外活動の一環として、熱帯雨林のボルネオのジャングルや世界各地でサバイバルした生命力の基礎です。本や論文を書くのも、体力や集中力が必要で、若い頃のスポーツが今も生きているのかもしれません。 石戸信也」

この感想メールを頂戴してからしばらくして、石戸氏からさらに、以下のような追伸のメールが届いた。

「伊藤先生 素晴らしいお便りのメールを、いつもありがとうございます。伊藤先生の人脈の豊かさにいつも敬服しております。高校野球部の後輩という早稲田大漕艇部の方は、私と同じぐらいの年かもしれませんね。

私の高校教師生活のスタートは昭和56年(1981年)の4月。神奈川の県北、丹沢を望む緑豊かな津久井湖・相模湖の近くの県立高校でした。もう40年も前のことです。この高校には漕艇部がありましたが、6年間勤務して、父が倒れたため、採用試験を受け直し、兵庫県に帰りました。6年間の在任中、少しして早大漕艇部員だった男性が赴任してきました。確か、武田さんという名前の先生です。もしかしたら、近い年代なら、伊藤先生の高校の後輩の方と早大漕艇部で先輩・後輩の交流があったかもしれませんね。

さて、1、2年前だったか、東京から日本漕艇協会というのでしょうか、定期刊行されているボート専門誌の編集関係者の方が会いたいと東京から神戸まで来られ、取材を受けました。神戸や横浜の明治の外国人の漕艇の研究上、神戸新聞で大きく報道された1870年以前の神戸の古写真(艇庫前の集合。外国人だけでなく、ちょんまげ姿の日本人も写る。断髪令は明治4年=を私が発見)のニュースを検索で知り、驚いて来られた由。三宮で楽しく懇談しました」

以上だが、石戸さんから聞いた早大漕艇部OBの先生の名前を高校後輩のS君に照会すると、漕艇部OBの名簿には確かに同じ名前の方がいた。ちなみに、石戸さんと高校野球部後輩のS君は同じ昭和33年(1958年)生まれということで、いわば同学年であることも分かった。これも奇縁だ。S君に石戸さんから頂戴したメールを参考までに転送すると、「すごい人ですね」と驚きの感想が書かれていた。

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