第328回 古代からの夢、マレー半島横断(1)直井謙二

第328回 古代からの夢、マレー半島横断(1)
2015年5月、中国で突如マレー半島を横断する運河の建設計画が浮上した。広州のメディア『南方日報』が報じたもので世界中の関心を引き付けた。マレー半島で最も幅の狭いタイ領のクラ地峡にシャム湾とアンダマンを結ぶ運河を建設するというものだが、中国政府もタイ政府も計画を否定した。
中国メディアの勇み足だったようだ。習近平政権が「一帯一路」構想を打ち出し、海のシルクロード建設に乗り出す動きや「AIIB」アジアインフラ銀行の創設がメディアの勇み足を生んだようだ。しかし、クラ地峡横断は荒唐無稽ではなく7世紀から何度も計画されては消えて行った歴史がある。
クラ地峡を横断できれば大きな利点がある。まずインド洋と南シナ海の航路の難所マラッカ海峡を通過しないで済む。マラッカ海峡は全長約800キロ、サンゴ礁や浅瀬が多いうえに狭いところは幅がわずか400メートルしかない。地形的な厳しさから船舶はスピードを落とさざるを得ない。ゆっくり進む艦船が海賊の格好のターゲットになるのは昔も今も変わっていない。
筆者がバンコクに赴任していた1999年10月パナマ船籍の貨物船アロンドラ・レインボー号が海賊船に襲われ、日本人船長と機関士それに15人のフィリピン人の船員が拉致され、7,000トンのアルミ・インゴットが強奪された。およそ20日後には日本人を含む全員が解放され洋上を漂流しているところを救い出された。救助された直後、船長と携帯電話で話し取材した経験からいまだに事件の内容をはっきりと憶えている。

一方、交易帝国シュリービジャヤが栄えた7世紀の時代も難所であるマラッカ海峡と海賊の被害は悩みの種だった。この一帯は海洋民族ブギス族が出没し、帆船を襲っていた。ブギス族は航海技術に優れ、欧州諸国がアジアに出没する16世紀の大航海時代以前からインド洋を渡りマダガスカルに渡っていたと言われる。
海のシルクロードではローマからはローマン・コインや宝石が唐からは陶器や仏像が船で運ばれたが、海賊には格好のターゲットだったと想像される。(写真)
タクラマカン砂漠を横断し、中国とローマを結ぶ陸のシルクロードではラクダを使って宝石や絹が運ばれ、重くて壊れやすい陶器はもっぱら海のシルクロードで運ばれた。船で運んでも嵐に遭えば壊れるし、海賊に遭えば強奪される。危険なマラッカ海峡を避けて、短いルートを実現することは古代からの夢であった。
写真1:オケオの遺跡から出土したローマンコイン
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