第326回 何度か経験した飛行機の恐怖 直井謙二

第326回 何度か経験した飛行機の恐怖
アジア取材に飛行機は欠かせない。十数年にわたる取材でジャンボジェットから小さなヘリコプターまで数えきれないほど搭乗し、ひやりとした経験も少なくない。
1980年代の半ば、ハノイのノイバイ空港からタイのバンコクまで旧ソビエト製の双発のプロペラ機に乗った時のことだ。飛行機は軍用機に椅子を取り付け旅客機として使われていた。椅子の座り心地はとても悪く、一部は壊れていて背もたれが倒れてしまっているような状態だった。軍用機を改造しているため、オーバヘッドロッカーなどはない。乗客は欧米人やタイ人それにベトナム人が多かったが、大きな手荷物を機内に持ち込むアジア系の人も多かった。規制など厳しくなく手荷物の一部は通路にまではみ出していた。通路は乗客がトイレに行く以外に使われないので事故がなければ問題はなかった。一般の国際線と違って機内サービスはほとんどなかった。
プロペラ機がタイのドンムアン国際空港に近づき、着陸態勢に入った。旅客機は着陸時、機体頭部をあげて滑走路に向かうのだが、旧ソビエト製の元軍用機は機体頭部をさげ、滑走路に向かうのだ。それだけでも異様なランディングだが、飛行機は滑走路に到達していながら、なかなかランディングしない。着陸をやり直すのかなと思った瞬間、ドスンという音とともに急にランディングした。すると滑走路のエンディングが近いのか、パイロットは急ブレーキをかけた。
前に飛び出しそうな通路の荷物を乗客は足で押さえつけ、懸命に耐えている。飛行機はついに滑走路のエンディングの白いラインを越えた。エンディングを越えてもしばらく滑走路は続くが舗装は荒くなる。このため飛行機は上下に揺れだし、乗客の顔が引きつる。滑走路が切れ、草原になる寸前でやっと飛行機は止まった。機内にホッとした空気が流れ、自然に拍手がわいた。飛行機は何事もなかったかのようにUターンし、誘導路へと向かって行った。

当時、ベトナムはカンボジアへの侵攻を理由に国連から制裁を受けていた。(写真)経済的に厳しく、航空燃料の入手もままならなかったためベトナム機はランディングのやり直しを強引に避けたものと思われる。
客室乗務員は慣れているのか何事もなかったような様子でアナウンスを始めた。「搭乗ありがとうございました。ただいまドンムアン国際空港に到着しました。またのご搭乗を乗務員一同心よりお待ちしています」すると隣の席の西洋人が言い放った。「もちろん乗ってやるとも。もしこの命が残っていれば」緊張感が消え、客室は笑いの渦に包まれた。
写真1:カンボジアから撤退するベトナム軍
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