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第302回 ベトナム戦争のトラウマを引きずるアメリカ(2) 直井謙二

第302回 ベトナム戦争のトラウマを引きずるアメリカ(2) 直井謙二

第302回 ベトナム戦争のトラウマを引きずるアメリカ(2)

地下壕は3階建で井戸が掘られ、家庭ごとに居住区が設けられ村人の生活を支えた。7年間の間に17人の子供が地下壕で生まれた。地下壕で出産した母親のホーティ・スーさんと娘のホーティ・ティエンさんに地下壕を案内してもらった。

母親はおよそ20年ぶり、娘は生まれた場所を初めて訪ねることになる。懐中電灯を照らし、頭を天井にぶつけないように腰を落として20分ほど進む。地下7メートルほどの居住区に到達し、母親のスーさんから「ここでお前は生まれた」と聞かされ、娘のティエンさんは絶句した。

6畳ほど居住区は湿気がひどく蒸し暑かった。ローソクをたてる棚や煮炊きした場所にはわずかに痕跡が残っていた。布団はなくゴザの上で出産したという。スーさんが泥の中から古びたスリッパを懐かしそうに拾い上げた。ホーチミンサンダルだ。物資が枯渇した北ベトナムは自動車の古タイヤを加工してスリッパを作った。そのスリッパは大統領の名前を冠しホーチミンサンダルと呼ばれていた。

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爆撃が激しい日は娘に1日1食しか食事を与えられなかったが、最もつらかったのは日光に当ててやれなかったことだったという。爆撃が激しくなると幼児たちは籠に入れられ、3階をつなぐ立坑を使ってロープでより深い壕に下ろされる。地下壕は生活するだけでなく銃などの武器も備蓄されていて、村人は時として民兵となりアメリカ軍に立ち向かったという。生活も戦闘準備も巨大な地下壕で行われていたことになる。

ベトナム軍は小隊に必ず政治兵士を付けていた。直接戦闘には参加せず、戦況と戦闘の必要性を部隊や民兵に説明する専門の兵士だ。一方、アメリカ軍の大方の兵士はベトナム戦争の意義を理解しないまま戦闘に巻き込まれ戦意を喪失していたことはハリウッド映画などでもおなじみだ。

2時間ほどの洞窟の取材を終え、外に出て思わず深呼吸した。海からの潮風を浴びた時の開放感を今でも憶えている。同時に7年間も洞窟から一歩も外に出なかった村人の辛抱強さと民兵の戦闘意欲に改めて驚いた。

武器の性能や兵士の数だけで戦争の勝敗は決まらないということだろう。イスラム国の兵士の戦闘意欲と阻止しようとする欧米の兵士の気迫が気になる。ベトナム戦争中とは異なり、今はアメリカ本土もテロの危険にさらされている。それでもオバマ政権は地上軍を送ることを躊躇している。米軍が撤退を余儀なくされたベトナムの悪夢はまだ続いている。

写真1:地下壕の生活を語るスーさん

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
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