第301回 山崎豊子さんをめぐる知人の意外な縁 伊藤努

第301回 山崎豊子さんをめぐる知人の意外な縁
人間の出会いは本当に不思議なものだということを、年があらたまった早々の新年会で強く感じる出来事があった。都内の老舗ホテルで開かれたその新年会には、政財官界や報道界の幹部ら何百人という人が集まり、広い宴会場は例年に増してぎゅうぎゅう詰めという感じだった。
そこでお会いしたのは、筆者が編集者として関わったベトナム関係の経営コンサルタントにして著述家のH氏であり、もう一人が中国人ジャーナリストとして著作や講演活動で多忙な生活を送られているM氏だ。毎年の新年会で顔を合わせているので、筆者が紹介した形で両氏は面識はあるが、今年はたまたま、中国と縁の深い作家の山崎豊子さんが昨年9月に逝去されたこともあって、昔は日本の大手製鉄会社の幹部として、生前の山崎さんの取材を受けたこともあるH氏がその昔話を中国人のM氏にし始めた。
すると驚いたことに、山崎さんの主要作品の一つである中国の残留孤児をテーマにした「大地の子」が、若きM氏が1980年代初めに来日した折にたっての願いで実現した女流作家との面談の際に、ぜひとも中国を舞台にした小説を書いてほしいと働き掛けたことがコトの発端だったという意外なエピソードがM氏の口から紹介されたのである。日中両国にまたがる細い糸のような山崎さんとの縁がきっかけになって、二人の話は大いに盛り上がったのは言うまでもない。
編集者とコラム寄稿者という関係が筆者とM氏の間には長く続いていたにもかかわらず、綿密かつ徹底的な取材姿勢ゆえに「白い巨塔」や「不毛地帯」など大作の小説が多く、寡作な山崎さんとM氏に強い絆があったことを知らなかったのは迂闊だった。新年会があったその晩、帰宅してインターネットで山崎さんとM氏の二人の名前を入力すると、「中国でも尊敬される小説家 井上靖さん、山崎豊子さん」とタイトルの付いたM氏の文章がパソコン画面に出てきた。
山崎さんに「大地の子」を書かせるきっかけを作り、かつまた取材助手や通訳を務めたM氏と山崎さんとの深い関わりについてはその文章に譲るが、Mさんとは違う形で、中国の経済建設で協力を要請された日本の鉄鋼メーカーの中国事業の苦労について、実際の経験者として山崎さんの取材を受けたH氏とこうして偶然に出会うというのも極めて稀有なことと言えまいか。
二人の会話は、にぎやかな新年会での立ち話では到底済みそうにないので、近々、山崎豊子さんを語る会、あるいは日中関係を語る会を開きましょうということになった。もちろん、筆者が勝手に幹事役を務め、お二人の話の聞き役に徹するつもりでいる。