第300回 ベトナム戦争のトラウマを引きずるアメリカ(1) 直井謙二

第300回 ベトナム戦争のトラウマを引きずるアメリカ(1)
中東の混乱はイスラム国の出現でさらに混迷を深めている。アメリカを中心にイスラム国への空爆が行われ、対抗するアラブ諸国などに軍事支援を送っているが、イスラム国の勢力は衰えを見せない。イスラム国への反撃には地上軍の派遣が効果的だと分かっていてもオバマ政権は派遣をためらっている。
ブッシュ政権が始めたイラク戦争などで4,400人以上、アフガニスタンで2,300人以上の死傷者を出し、これ以上地上部隊の死者はだせないという政治的な判断が派遣を押しとどめているようだ。アメリカはベトナム戦争では10倍近い6万人の死者をだしている。1991年の湾岸戦争の勝利で父親のブッシュ大統領はベトナムの悪夢は消えたと豪語した。しかし再びイラク戦争やアフガン派兵で数千人の死者をだし、一旦消えたアメリカのベトナムの悪夢がよみがえり地上部隊を派遣できないようだ。

アジアの小国ベトナムが、超大国アメリカを撤退させたばかりか悪夢として後遺症を抱えるまでに追い込んだ理由をベトナムの若者から尋ねられたことがある。2000年、ハノイ支局を担当してきたとき若いベトナム人記者のF君から「我が国がアメリカに勝てた理由はなんですか」と聞かれた。ベトナムで育ち、教育を受けたF君がベトナム戦争について習わなかったとは思えない。F君は「教室ではホーチミン大統領の指導のもと、祖国の統一をかけ国民が団結したからだ」と教わったが、両国の経済力、軍事力を考えればそれだけでは納得できないという。
F君にはベトナムがアメリカ軍に激しい抵抗を示した一例として90年に取材した村全体が地下に潜った地下壕の話をした。南北ベトナムを分けた北緯17度線の北にあるクアンチ省ビンモック村の地下壕で長さは2キロ、深さは25メートルに達する。ベトナム観光で有名になった南部ホーチミンに近いクチの地下壕とは異なり、ビンモック村の地下壕はアメリカ軍の空爆と艦砲射撃を避けるため、1,000人の村人や民兵が生活していた。地下壕が南北境界線に近いこともあって爆撃や艦砲射撃が毎日続き、民兵以外の村人は一歩も外に出られなかったという。
地下壕ができたのは戦闘が激しさを増した1965年、村人が地下壕から出てきたのはアメリカ軍が撤退した1972年、およそ7年弱地下壕での生活が続いた。
写真1:地下壕の入り口
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