第304回 タイで製造されている日本酒 直井謙二

第304回 タイで製造されている日本酒
和食が世界無形文化遺産に登録された。すでに登録されている歌舞伎や能楽などに続くものだが、広く庶民に影響を与える点で和食の登録は注目される。ビザの発給規制が緩んだこともあって大勢の外国人が日本を訪れ、和食を堪能する機会が増えてきている。
和食にはやはり日本酒が欲しい。早くから日本食や日本食堂が普及していたタイだが、最初は在留邦人向けのものだった。タイ人が経営する日本食堂をタイ人が愛用するようになったのは1997年のアジア通貨危機がきっかけだった。不況下、人々の暮らしのなかで大切なのはまず健康だった。そして長寿国日本の食事を取り入れることがブームになっていった。しかし、なかなか日本酒はタイの庶民に普及しなかった。
日本酒は日本人向けのスーパーで売られていたが、コメの国タイでコメを使った酒には特別の関税がかけられ日本で買う4倍から5倍の高値で販売される。そのためタイに住み着いた日本人のお土産には日本酒が喜ばれた。成田空港の免税店で買った日本酒は最高のプレゼントになった。

その後日本食を愛好するタイ人のためにタイ人向けの日本酒醸造が本格化した。15年ほど前、バンコク郊外にあるタイ製の日本酒「忍」を製造するメーカーを取材した。広島から派遣された日本人杜氏は日本で醸造される日本酒に負けないように寒仕込みを徹底していると言っていた。室温10度に保たれた工場は杜氏の指導の下、タイ人の職人の手で「忍」が仕込まれていた。外気温は35度ぐらいだから室内は猛烈に冷房がかかっている。
工場の外には積み出しを待つトラックが列を成し、箱詰にされた「忍」が出荷されていた。工場では大吟醸も製造されていた。大吟醸の製造には米を深く精米する必要があるが、日本の米は高価なため、大吟醸は値段が上がってしまうという。工場ではタイ北部で生産されている日本米を使っていた。コメの値段が日本と比べると4分の1ぐらいで済むため、精米を深くかけられ、上等な大吟醸が安く製造できるのだ。
取材終了時が丁度日暮の時間だったので「忍」を買い、近くの野外レストランで日本食を注文し、「忍」を試飲してみた。周りの景色や気温が高いことから最初は日本酒を味わう雰囲気になれなかったが、「忍」が予想以上においしかったこととほろ酔いで日本の秋を思い浮かべながら杯が進んだ。2合ほど味わったあと、望郷の念にとらわれ夜空を仰いだ。レストランのテーブルを覆うバナナの木にたわわに実ったバナナの実がぶら下がっていた。しっとりと日本酒を味わう雰囲気は消え、同時に望郷の念も失せてしまったのだ。
写真1:日本酒忍
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