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中国は危機収拾の責任果たせ(下) 戸張東夫

中国は危機収拾の責任果たせ(下) 戸張東夫

<「胸を張っていおう、世界は中国に感謝すべきだ」>

さてこれらの問題について中国の責任を問うといっても中国がどんな態度をとるかが大きな問題である。中国は米国や我が国のような民主主義国ではなく、共産党の一党独裁政権である。世界観も、価値観も違うからもちろん考え方も我々とは異なっている。我々が中国の責任だから謝れとか何とかしろと言ってもおいそれと応じるとは限らない。まずこれら責任問題に対する中国の考え方を探らなければなるまい。

そんな時に目についたのが「胸を張っていおう、世界は中国に感謝すべきだ(理直気壮、世界応該感謝中国)」というショッキングなタイトルの論評である。我々がいわば謝らせようと意気込んでいるのをあざ笑うがごときタイトルなので不愉快ではあるが、明らかに西側諸国の中国に対する責任追及の声を意識して準備された論評であるから無視するわけにはいかなかったのである。

そのうえこの論評が国営の通信社新華社によって報じられたことから中国当局の何らかの意図が隠されているに違いないと考えたのである。論評の執筆者の名前は明らかにされていない。2020年3月4日に発表されたもので、原文は「新華網」による。『ニューズウィーク日本版』はこの論評を「中国が振りかざす謎の中国式論理」という見出しで報じ、「あきれ返ってものが言えない」と酷評している。(2020年3月24日、17ページ)確かにその通りではあるのだが以下に一応かいつまんで紹介しておきたい。

<中国政府の非公式メッセージ?>

米国はいま新型コロナウイルスの感染が国中に広がり大騒ぎである。米国は当初新型コロナウイルスの感染を過少評価していたのだが、米国全土に感染が広がったことから今や深刻な事態に陥っている。中国はと言えば感染阻止の活動が順調で状況は好転しており、新型コロナウイルス感染防止の闘いにおける米国と中国の立場が逆転してしまった。このままでは大統領選挙にも影響しかねないとトランプ大統領は戦々恐々である。

いっておきたいことがある。米国は武漢で新型コロナウイルスの感染問題が突発した当時武漢在住米国人の撤収を最初に言い出したばかりか、中国人および中国を訪れた外国人の米国入国を禁止することによって中国を国際的に孤立させ中国経済に大きな打撃を与えたことだ。米国によるこれらの中国に対する悪意のある行為に対して今中国が報復としてマスクや薬品の輸出禁止措置をとったら米国は大きな被害を免れないであろう。だが中国はそんなことをしないし、米国を責めることもしない。「米国は過去の様々な誤りについて中国に謝るべきである。」

「このところ変なことをいうものがいる。中国は世界に対して謝罪すべきだというのだ。ばかばかしい。新型コロナウイルスとの闘いにおいて中国は大きな犠牲を払い、出費も並々ならぬ大きなもので、ウイルスの感染経路を絶つことに成功した。新型コロナウイルスとの闘いでこれだけ大きな犠牲と経済的努力を払った国がどこにある。鐘南山院士(中国の著名な呼吸器専門医)の研究によれば、新型コロナウイルスが発見されたのは中国だが、発生源は中国とは言い切れないという。現在行われている研究によれば、発生源は中国ではないようだという。米国、イタリア、イランなどの新型コロナウイルス感染者の中にアジアとの接触がない患者が少なくない。だから中国には謝る理由がないのである。ここで我々は胸を張っていおう。米国は中国に謝れ、世界は中国に感謝せよ。中国の大きな犠牲と経済力がなかったなら新型コロナウイルスを撃退する貴重な時間的余裕を享受することができたであろうか。中国一国の力で新型コロナウイルスを長時間完全に抑え込んだのだから、まさに神業といってよかろう。」(「」内は訳出部分。前段は要約。)

世界中の人々が中国武漢を起点とする新型コロナウイルスに苦しめられているのに「謝れ」とか「感謝せよ」とはどういうことか。全く筋の通らない言いようで「あきれ返ってものが言えない」。誰もが、多分中国人でもそう考えるのではあるまいか。だがそれを承知であえて意図的にそんな風に受け取られる論評で相手方の注意を喚起して別のメッセージを伝えようとしているとは考えられないだろうか。そのような形で中国当局が非公式のメッセージを諸外国に送っているのではないかと筆者は受け止めている。そのメッセージはおそらく「中国の責任を問おうという動きがあるが、やめた方がよい。とくに新型コロナウイルスの発生源が中国だなどということは言わないほうがよい」といった内容だったと考えている。いかがであろう。

<中国には国民を代表する政府がない>

中国政府は新型コロナウイルスの危険性と、感染予防の必要をなぜもっと早く国民に伝えなかったのか、という問題についてもう一度ここで考えてみたい。新型コロナウイルスに関する中国政府の情報開示が後れたことをめぐって中国内外の専門家やメディアから様々な疑問や批判が提起されている。だがなぜ後れたのかに関する議論はほとんど聴かない。新型コロナウイルスに関する中国政府の国民に対する通知が一か月以上も遅くなったのはなぜなのか。今も考えている。

中国には国民を代表する政府が存在しない。このため国民の考え方と政府の考え方にずれが生じることは避けられない。国民の生活感覚、自然災害に対する対応、国家的危機に対する考え方などで認識を共有することができないことも少なくないのではあるまいか。新型コロナウイルスに関しても危機感、緊張感で国民と政府の間にある種の距離感が生じていたのではないだろうか。



<山田辰雄教授の「代行主義」>

現代中国政治史研究家として著名な山田辰雄慶応大学名誉教授は共産党を含む現代中国の政治史を研究した成果として二〇世紀中国の政治過程を貫く一つの伝統的な政治制度が存在することを認め、これを「代行主義」と名づけ、次のように定義しておられる。「エリート集団が人民に代って改革の目標を設定し、人民に政治意識を扶植し、目標実現のために人民を動員するが、人民が自発的に政治に参加する制度的保障を欠く指導体制と指導様式である。そこでは、エリート集団の指導性確保が絶対的であって、改革への市民的要求がエリート集団の支配下にある党・国家のそれに先行することは許されないのである。」(山田辰雄編著『歴史のなかの現代中国』勁草書房、1996年4月、7ページ)習近平さんの共産党政権がいま実行しているのは「代行主義」に他ならない。中国の共産党政権は1949年国民党政府と国民党軍を台湾に追い込み、北京に中華人民共和国を樹立して以来いまも14億国民の上に君臨している。だがこの政権は国民に選ばれた国民の政府ではなく、いわば武力で非武装の国民を屈服させて成立した政府なのである。習近平政権もその性格は全く同じである。したがって習近平政権は国民の共同事務を国民自身が、代表を通じて、共同管理する近代国家ではないということになる。

習近平政権と中国国民、山田教授のいう「エリート集団」と「人民」の間に新型ウイルスの危険性に関する認識の違いがあり、それが中国国民に対する通知の時期の後れにつながった、つまり政府内に「国民に急いで知らせる必要はない」という判断を生み出したのであろう。国民を真に代表しない政府が国民の身になって考えることにはやはり限界があるというべきかもしれない。



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