第246回 インドからフィリピンまで56日間の船旅 直井謙二

第246回 インドからフィリピンまで56日間の船旅
船酔いに弱い筆者にとって海上の取材は時として地獄になる。数々の苦い経験の中でもインドのマドラス(現在のチェンナイ)からフィリピンのマニラまで56日間に渡る海上での取材は忘れることができない。
1990年代の初め、ユネスコの主催で海のシルクロード・プロジェクトが始まった。イタリアのベニスから日本の平戸までオマーンの王室が提供したクルージング船で各地の遺跡や文物を調査研究するというものだ。1万トンの船には各国の学者やジャーナリストが乗り込んでいたが、筆者もインドのマドラスから乗り込みフィリピンのマニラまでの間を取材した。ユネスコは本部がフランスであることもあって船内の公式言語はフランス語。内容も難しく船内で行われたシンポジウムはほとんど理解できない。結局、夕日や夜光虫それに船に寄ってくるイルカの撮影程度の仕事をするしかなく、食事はフランス人コックが腕をふるうフルコースのフランス料理で、優雅な船旅を満喫しようと期待した。
ところが船がベンガル湾に差し掛かると急に揺れ出した。釣り船なら3、4時間も我慢すれば済むが、ベンガル湾を横切るには3日から4日はかかる。すると船内ではほとんどの人がベッドに横たわり、それまでイベントや国際交流でにぎやかだった船内が急に静まりかえった。同行したフランス人の医者が診断に回り始めたが、医者も顔色が悪い。船はようやくマレー半島に近付き、揺れが収まり食欲は出てきたが、フルコースのフランス料理は受け付けそうもない。タイのプーケットに入港するやいなや下船し、近くのマーケットでタイ製のインスタントラーメンを買いこんできた。空腹も手伝ってインスタントラーメンのうまさを再確認した。

船内では国際プロジェクトならではの光景も見られた。船中でクリスマスを迎えたが、ロシアの学者からパーティに招待された。ソビエト崩壊で信仰の自由が復活して初めてのクリスマスを迎えたロシアの学者のうれしそうな顔が印象的だった。
船内ではトラブルも発生した。プロジェクトの調査研究結果は船内の公式言語のフランス語で記述されていたが、中国や韓国のジャーナリストが英語にすべきだとクレーム付けた。筆者も加わってアジアチームが結束して英語にすべきだとフランスの代表団に抗議を申し入れた。フランスの代表団はフランス語こそ大勢の人が理解する国際語だとして一歩も譲らない。するとついに中国の代表が人数から言えば中国だ。中国語にすべきだと反論をはじめ、アジアの団結はもろくも崩れてしまった。
写真1:マドラス(現在のチェンナイ)のヒンズー寺院
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