第244回 バンティアイ・クディの思い出 直井謙二

第244回 バンティアイ・クディの思い出
アンコール遺跡といえばまず浮かぶのは山門から本堂まで700メートルある巨大な寺院アンコールワットや観世音菩薩の四面像が圧倒的な存在感で迫るアンコールトムだ。そのほかにも数百のアンコール遺跡が点在するが、日本人が親しみをもって訪れるのが長い間上智大学のアンコール遺跡調査団が調査修復を行ってきたバンティアイ・クディだ。
バンティアイ・クディはアンコール王朝の末期の12世紀、ジャヤバルマン7世によってヒンズー寺院から仏教寺院に改装された。調査修復をリードしてきた上智大学の石澤良昭前学長はバンティアイ・クディの境内の地下から仏像を発見した。ヒンズーを崇拝するジャヤバルマン8世は7世が改装した仏教寺院の仏像の破壊を命じたという。
当時の心ある仏教徒が、破壊から守るためバンティアイ・クディの境に仏像を埋めたものと思われている。ヒンズーと仏教は東南アジアで融合していたと思っていたが、対立もあったこと、さらにはジャヤバルマン7世以降アンコール王朝は衰退したという通説を覆す発見だった。バンティアイ・クディには数回訪れ、上智大学などの活動を取材させていただいていただけに筆者にも印象深く記憶が残っている。
数回のバンティアイ・クディの取材のなかでもう一つ印象に残るのがまだ内戦中の90年、日本画家の故平山郁夫画伯が20年ぶりにアンコール遺跡を訪ねる旅に同行取材したことだ。
まだ国連主導のカンボジア総選挙が行われる前でカンボジアは内戦末期だった。

自然崩壊が進むアンコール遺跡を平山画伯は寸暇を惜しんで視察するとともにスケッチを続けた。このアンコール遺跡訪問にセゾングループの代表で実業家であり小説家の故堤清二(辻井喬)氏も参加した。バンティアイ・クディの境内に座り込んだ平山画伯と堤氏を目撃した(写真)。遠方を見つめスケッチに没頭する平山画伯。平山画伯のスケッチと同じ構図の風景を収めようとカメラを構える堤氏。スケッチする平山画伯の邪魔にならないよう少し距離を置いて座る姿に堤氏の人柄が表れているような写真だ。境内にはほとんど人影がなく、鳥の声だけが響いていた。
日本画一筋に歩んだ平山画伯、実業家でありながら小説や詩集など文学の才に長けていた堤氏。写真を撮らせていただいたあと、筆者も遠慮して立ち去ったが、穏やかな寺の境内で二人がどんな会話を交わされたかは知らない。
写真1:バンティアイ・クディの境内(平山郁夫氏(右)堤 清二氏(左))
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