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第532回 報道の自由の危機を迎えたフィリピン  直井謙二

第532回 報道の自由の危機を迎えたフィリピン  直井謙二

第532回 報道の自由の危機を迎えたフィリピン

独裁色を強めるドゥテルテ政権が政権批判を続ける民放大手のABS-CBNの事業免許を拒否し、国家通信委員会は7月5日、放送停止を命じた。ABS-CBNは1986年、マルコス政権が倒れた時も政権よりの国営放送に対抗するなど一貫して政権批判の立場を貫いてきた。国内外のマスコミの批判もあり20年にわたるマルコス独裁政権は倒れ、世界で初めて独裁政権崩壊を生中継されたといわれた。独裁を強めるドゥテルテ政権が先手を打って反政府的な報道機関ABS-CBNに圧力をかけたとみられている。

東南アジア諸国が高度経済成長に成功する中、マルコス政権が倒れた後もフィリピンは一人バスに乗り遅れた感が否めなかった。90年代半ばマニラ支局に赴任していた頃もタイやシンガポールそれにマレーシアなどと比較するとインフラや庶民生活と共に治安などで劣っていると実感した。

マルコス独裁政権がもたらした負の遺産もさることながら引き継いだコラソン・アキノ元大統領の無策がそれに拍車をかけた。アキノ政権を引き継いだラモス元大統領は米軍基地跡を経済特区にして外資の誘致に乗り出し、ミンダナオ島などで武装闘争を続けるイスラム過激派と和解する努力などを重ねたが、経済復興や治安の回復には時間がかかりラモス元大統領の任期中には改善を実感できなかった。

一方でミャンマーやインドネシアなど軍政もしくは軍をバックにした独裁政権が多い中、フィリピンは東南アジアにでは珍しい民主国家だった。定期的な議会選挙や大統領選挙で政権が決まるし、外国のマスコミも自由に取材し発言が許された。日本では大手マスコミによる記者クラブ制度があり、外国人やフリーの記者は総理大臣や閣僚の会見に参加するのには多少の壁がある。

ラモス政権時代、大統領記者会見に頻繁に参加していた頃のことだ。日本のODAを利用してマニラ近郊に大規模な港を建設する計画で問題が起きた。建設地に元々住んでいた住民が移住条件を拒否し政府と対立、警察が住民に向け発砲し追い出す事件が起きた。500人もの住民がマニラの日本大使館に押し寄せODAの中止を要求、日本政府も懸念を示した。大統領の定例記者会見では住民との直接対話をするべきだと質問した。(写真)大統領には嫌な質問だが、丁寧に応答してくれた。そして日本大使館前のデモは間もなく姿を消した。

それを見て日本以上に自由な取材報道が許されていると羨ましく思った。ここ数年、経済や治安では回復傾向だが、フィリピンは自由な報道が危機に立たされている。

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回  
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