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第531回 知り合いベテラン高校教師の「教育論」(上) 伊藤努

第531回 知り合いベテラン高校教師の「教育論」(上) 伊藤努

第531回 知り合いベテラン高校教師の「教育論」(上)

少し前の本欄で「母校の物理教師・岩本先生の型破り人生」と題して、昨年秋に他界された筆者の高校時代の恩師、岩本秋雄先生(享年88)の教員人生の一端を紹介させていただいたが、拙稿を目にした兵庫県在住の知人のベテラン高校教師の石戸信也先生から長い感想メールが届いた。

石戸先生は、筆者が神戸にある大学院で非常勤講師を務めていた際の「教え子」だが、社会人の大学院生ということもあり、筆者とはほぼ同世代で、現在は定年を迎えて兵庫県の公立高校で再任用教員、学年主任としていまなお奮闘中の身だ。石戸先生の本職は高校の社会科教諭だが、地元の国際都市・神戸の社会・文化史をはじめとする郷土史家としての旺盛な執筆活動などその仕事は多岐にわたり、筆者がお世話になった岩本秋雄先生に負けず劣らずの「型破りの教師」と言える。

5年ほど前に筆者が面識を得たのも、責任ある立場として多忙な高校教員の仕事をこなしながら、自らつくりだした貴重な時間を活用して地元の大学院に入学し、修士論文の作成に取り組んでいた時期だった。そんな石戸先生の長年の現場体験に基づく教育論のエッセンスとも言えるような興味深い返信メールの概要を、ご本人の了解を得て、以下、一部説明を加えながら紹介させていただく。

伊藤先生
お世話になっております。メールでのご連絡をありがとうございました。懐かしく、読ませていただきました。

(頂いたメールにありますように)そう、8月は毎年、神戸に来ておられましたね。JR西の六甲道駅の居酒屋「駅前」で伊藤先生や院生のみんなと懇親したことが懐かしいです。現在は毎日、あの店の前を通り、JR六甲道駅から勤務先の高校に通勤しております。
「アジアの今昔・未来」のコラムで岩本秋雄先生のお話を拝読させていただきました。まさに巨星、「人生の師」だったのですね。多くの方が葬儀に参列されていたお話からも、その先生がいかに慕われていたかがわかります。

また、今夏のコロナ禍と、「おまけ付き」在宅勤務のコラムも拝読させていただきました。イギリスのデフォーが「ペスト」で1665年のロンドンの混乱を書き、フランスのカミュが「ペスト」を書き、小松左京が「復活の日」(後の同名映画の原作)を書き、と多くの人々が感染症と人間社会の混乱を描きましたね。人類が幾度となく、新しい病気の流行と戦ってきた歴史は、ペスト、天然痘、結核、エボラ出血熱、インフルエンザ、新型肺炎、コレラ、チフスなど多種の病気をはじめ、今回の新型コロナで、その社会の在り方はまた新しい段階に入ったのでしょう。このような感染症の流行は経済に打撃を与え、社会の弱者にしわ寄せが行きます。医学的な戦いだけでなく、この社会への深刻な影響への対策となるセーフティーネット(社会的安全網)こそ、急がれるべきですね。

さて、内村鑑三が信州(長野県)の穂高につくられていた研成義塾の井口喜源治宛てに出した毛筆書簡を最近入手し、この関係で穂高の井口記念館を訪ねました。キリスト教の精神でつくられた小さな私塾ですが、約700名の有為な人材を内外に出し、信州の教育の先駆となりました。作家の島崎藤村も一時教壇に立った小諸の小諸義塾もキリスト教の木村熊二によるものですが、公教育ではなく、このような人間教育の場に感銘を受けた内村は何度も研成義塾を講演で訪ねています。井口は多数の学生も壮大な校舎も望まなかった。一人の教師が一人の生徒と信頼をもって向かい合うこと、「偉い人」になるのでなく「善い人」になる教育をめざしたようです。
(この項、続く)


写真:同志社大学のクラーク記念館(旧神学館)石戸信也氏撮影

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