1. HOME
  2. 記事・コラム一覧
  3. コラム
  4. 第88回 フィリピンの山岳民族アエタ族 直井謙二

記事・コラム一覧

第88回 フィリピンの山岳民族アエタ族 直井謙二

第88回 フィリピンの山岳民族アエタ族 直井謙二

第88回 フィリピンの山岳民族アエタ族

山岳少数民族と言うと、タイやラオス、それにミャンマー(ビルマ)などが思い浮かぶが、フィリピンにも山岳少数民族が生活している。タイやラオスなどの少数民族は中国の雲南省などから南下してきた民族が多い。もともと中国国内に住んでいたが、中国の長い歴史の中で他の民族に圧迫され、移動してきた。

フィリピンの山岳少数民族アエタ族がフィリピンに移動してきた歴史は、インドシナ半島の少数山岳民族に比べてずっと古く、およそ2万年前の氷河期にさかのぼる。アエタ族はその風貌からも分かるように、アフリカ系のネグリートである。氷河期で気温が下がり、生活しにくくなったアエタ族は凍りついた海を歩いて渡り、フィリピンにたどり着いたという。

氷河期が終わり、凍りついた海も溶けた後、海洋民族のマレー系の人々がフィリピンにやって来た。しかし、山岳民族であるアエタ族は山にこもり、マレー系の人々と交わることはなく、独自の原始的な狩猟生活を維持してきた。

1930年代、アエタ族と初めて交流を持ったのはフィリピンを植民地支配していたアメリカである。その後、アメリカはベトナム戦争当時、アエタ族から原始的な生活方法を学んだ。北ベトナムを爆撃する空軍パイロットや前線の海兵隊員は、ベトナムのジャングルの中に1人取り残される可能性がある。

アエタ族はスビック元米海軍基地でジャングルにはえている水を蓄える珍しい竹の見分け方や、火のおこし方を20万人の米兵に教えた。(写真) しかし、アメリカ軍はベトナムに敗れ、東西冷戦構造が崩れるとともにフィリピンの米軍基地の存在意義が薄れた。

第168回 直井.jpg

90年代の初め、ピナツボ火山が噴火した。ルソン島の広範囲を噴煙が覆い尽くすとともに、「ラハール」と呼ばれる火山灰の汚泥が流れ出した。このため、クラーク米空軍基地の滑走路は使えなくなり、スビック米海軍基地のすぐ近くにも汚泥が押し寄せてきた。

冷戦構造が崩壊した国際情勢の下、アメリカはクラーク基地やスビック基地を修復する意思を失い、フィリピンから撤退していった。アエタ族にとっては狩猟の場である山々をラハールで奪われ、貴重な現金収入先だったアメリカ軍も去っていった。

ピナツボ火山の噴煙が遠くに見えるアエタ族の村にたどり着くまで、筆者らの取材用ジープは何度もラハールに足を取られた。粗末な小屋のようなアエタ族の村長の家を訪ねると、大勢の子どもたちが迎えてくれた。

食事はキャッサバイモだけ、村長は自ら狩りに出掛けるが、野生の鶏もイノシシも姿を消したと嘆く。かつてアエタ族にジャングル・サバイバル術を学んだアメリカの援助は期待できず、アエタ族はやむを得ず山を降り、マニラの公園などで物乞いをして生活を支えなければならなかった。

アエタ族に関する報道は最近ほとんど見られず、その後のアエタ族の状況が気になる。


写真:米海兵隊に講義したアエタ族

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》次回
《アジアの今昔・未来 直井謙二》の記事一覧

 

タグ

全部見る