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第486回 第2回米朝首脳会談とベトナム  直井謙二

第486回 第2回米朝首脳会談とベトナム  直井謙二

第486回 第2回米朝首脳会談とベトナム

今年の2月末、朝鮮半島の非核化と和平協定などを巡ってベトナムの首都ハノイで2回目の米朝首脳会談が開かれた。会談は進展せず次回の会談の合意もなく事実上決裂した。

関係国の落胆をよそにベトナムは成果を上げた。会談に臨む北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長がどこからベトナム入りするか注目されたが、大方の予想通り列車で中国国境に近いドンダン駅に降り立った。華々しい出迎えに笑顔で応える金長委員長、北朝鮮側のベトナムへの配慮もうかがわれた映像が世界に配信され、ドンダンは一躍有名になった。

ドンダンを初めて訪れたのは90年代の初め、中越戦争による緊張が無くなった直後だ。中国の砲撃で破壊された建物の修復があちこちで行われていた。当時はまだアメリカのベトナムへの経済制裁は続いていてレンガ造りの粗末な建物ばかりだった。中越国境を挟んだ貿易は始まったばかりで高地にある中国領に向かって満載の天秤棒を担いだベトナム人が続々と登っていく姿があった。

地雷の撤去とともに中越を結ぶ鉄路の整備が始まっていた。(写真)中国とベトナムでは軌間が違うため双方の列車が行き交えるよう線路は3本で構成されている。のんびり働くベトナム人の工夫を見ているといつ完成するのかと懸念を感じていた。30年後、北朝鮮の金委員長が鉄路で中国を横断しドンダン駅に降り立つことなど想像もできなかった。

その頃は日本から運ばれた中古バイクしか走っていなかったが、テレビ映像を見る限りもはや中古バイクは見当たらない。そして、米朝首脳会談はハノイの最高級ホテル「ソフィテル・レジェンド・メトロ・ポール」で行われた。レジェンドの名を冠するようにホテルはフランス統治下に建設され、フランスからの独立を機に「トン・ニャットホテル」(統一ホテル)と名前が変わった。

ドイモイ前のハノイでは外国人記者は政府の監視下に置かれ、投宿は「トン・ニャットホテル」に限られていた。当時のホテルの劣悪な設備と従業員の労働意欲の欠如についてはすでに書いた。(小欄、第248回ベトナムのドイモイ政策の効果)「トン・ニヤットホテル」は再び名前も変わり米朝首脳会談の舞台となり、同時に筆者にはとうてい手の届かない超高級ホテルになった。

ベトナム戦争終了のおよそ20年後、94年にアメリカの経済制が解除されベトナムは大きく発展した。「ベトナムにとって米朝首脳会議は大成功だった」と述べたベトナムのフック首相の言葉を金委員長はどう受け止めただろうか。

《アジアの今昔・未来 直井謙二》前回  
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