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第484回 揺れるタイの国技「ムエタイ」(下)  直井謙二

第484回 揺れるタイの国技「ムエタイ」(下)  直井謙二

第484回 揺れるタイの国技「ムエタイ」(下)

A選手が判定で勝利した試合から数週間後、タイのテレビニュースでは15歳以下の少年のムエタイ禁止法案に反対するデモの様子を伝えていた。驚いたことにテレビが映し出す大勢のデモ隊の中にA選手がいた。ムエタイで成功したカオポン選手が息子にはやらせたくないというほど危険で激しい格闘技にも関わらず14歳のA選手はムエタイを続けるために反対デモに参加していたのだ。(写真)

A選手が久しぶりにタイ南部の故郷に帰るという情報をつかみ同行することにした。A選手の両親はゴム農家で生計をたてている。久しぶりに両親に会ったA選手の表情を見ると14歳の少年に戻っていた。

最近建てたという家には真新しいテレビが置かれていたが、家具はなかった。以前は竹で作った小屋に住んでいたという。プロパンの付いた小さな台所で母親は手料理の仕上げに余念がない。居間の床に車座になりA選手の妹も加わって久しぶりの一家だんらんが始まった。

あどけない妹は「お兄ちゃんがいつもいないので寂しい」と小さな声でつぶやく。「息子は私たちの誇りです」と語ると母親は声を詰まらせた。そして、「家計を助けてもらって家まで建ててくれた」と涙声で続けた。

一家の生計の大半が14歳のA選手の肩にかかっているばかりか、新築の家の経費もほとんどA選手が負担したようだ。母親は一家の生活を支えるためとはいえムエタイという厳しい格闘技を息子にさせなければならない辛さに耐えかねているようだった。

夜中の2時ごろ父親と母親は起きだし、バイクに乗りゴム農園に出かけた。漆黒の闇の中バイクのヘッドランプの光が揺れる。ゴムの木の林の中に入ると二人はナイフでゴムの幹に30センチほどの傷をつけ始めた。傷をつけたところからわずかながら白いゴムの原液がしみだしてくる。やがて原液は流れだし真下におかれたバケツに溜まる。

明け方にゴムの木に傷をつける作業を終えると今度は午前中にバケツに集まった原液を回収し、買い取り業者に引き渡す。毎日繰り返される重労働だが、月収は3,000バーツ弱。A選手の1試合のファイトマネーとほぼ同額だ。A選手の試合は月に4回ほど、両親のおよそ4倍の月収を得ていることになる。

翌日の夜行列車でA選手はバンコクに戻ってきた。そうしてまた中学生兼プロのムエタイ選手の生活が始まるA選手はムエタイ選手の厳しい表情に戻っていた。ムエタイは少年期の脳には大きなダメージになると分かっていてもタイ社会には簡単には禁止できない事情がある。

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