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第3回 武陵渓谷で名を馳せる青玉山 森正哲央

第3回 武陵渓谷で名を馳せる青玉山 森正哲央

第3回 武陵渓谷で名を馳せる青玉山

江原道東海市、三陟市にかけてそびえる青玉山(1403m)は日本海望む緑豊かな山だ。太白山脈の主稜線をなすこの山域の主峰は頭陀山(山林庁指定・百名山・1353m)で、青玉山と頭陀山を合わせて頭陀山と呼ぶこともある。青玉山は山よりも“武陵桃源”とも呼ばれる北麓の武陵渓谷(碧水渓谷・名勝37号)で名高い。鶴巣台や将軍岩の絶壁、龍湫瀑布や双瀑布の名瀑が渓谷美を織り成し、1977年に国民観光地第1号に指定されている。“三陟の小金剛”とも呼ばれる。登山の対象としては、登攀高度差が約1200メートルにもなるので、海のそばながら思いのほか難易度が高い。今回、青玉山から頭陀山への縦走を試みたが果たせず、青玉山だけの山行になってしまった。

武陵渓谷は、高麗時代の文人、李承休(1224~1300)が歴史書『帝王韻紀』を著述した場所とされ、その名付け親は、李朝の三陟府使、金孝元(1532~1590)といわれる。武陵渓谷を代表する名勝を一つあげるなら、一度に数百人が座れる武陵盤石(石場岩洞)がその筆頭。武陵盤石に刻まれた文人や書家の詩や揮毫が、両班たちの往時の物見遊山を偲ばせる。ひときわ目立つ「武陵仙源 中臺泉石 頭陀洞天」の字は、四大名筆家の一人、楊士彦(1517~1584)のもの。武陵盤石では、大勢の行楽客が、弁当を広げたり、素足を清流につけるなど思い思いに寛いでいた。

山門を過ぎて盤石橋を渡ると、640年に慈蔵律師(590~658)が創建した三和寺が現われる。渓谷沿いの道は広くて歩きやすく、小さな子供の手をひいた家族連れも多い。リスが飛び出してきては、人の顔を見て、驚いたように木を駆け登っていく。入口から約1時間、将軍峰の絶壁を見上げてすぐ朴達谷とパルン谷の出合いにある双瀑布の前にでる。名前の通りの双子滝で、二条の滝筋が左右から噴流となって豪快に流れ落ちている。滝つぼから吹き上げるひんやりした風に、一時暑さを忘れる。双瀑布すぐ上の大きな3段滝、龍湫瀑布も迫力では負けていない。周囲が30メートルもなる深い滝つぼに水しぶきをあげながら流れ落ちる様はまさに壮観。李朝時代に旱魃が続いた時は、ここで雨乞いの儀式が行なわれたという。龍湫瀑布が武陵渓谷のフィナーレを飾る。

青玉山への登山路は、朴達峠三叉路まで引き返し橋を渡る。すぐ鉄段となり、汗が吹きでる。次の三叉路で左折してムンカン峠へ。 行けども行けども緑濃い山道が続く。沢沿いに1時間も歩くと崩れかけた待避所を過ぎる。待避所からさらに汗を絞られること2時間、稜線の蓮七星嶺にでる。展望はないが、ここで弁当を広げた。 この先は快適な尾根歩きで、左手の木の間から三和洞のセメント工場や東海港、遠く日本海が垣間見えるが、残念ながら広い展望は得られなかった。

蓮七星嶺から40分、小さな広場のような青玉山の山頂につく。潅木に囲まれ、眺望はない。ソーラーパネルがあり、太極旗が風に揺れている。さらに樹林に囲まれた尾根を進み、ムン岩峠を経て朴達峠へ。ここで頭陀山への縦走を断念、サブコースの朴達谷を武陵渓谷へ向けて下ることにした。切り立った峡谷を縫うように歩道が整備されており、迫力ある景観に満足する。朴達峠から1時間50分で朝も通った武陵渓谷沿いの道と合流した。

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