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第483回 べトナム人に寄り添う都心の寺院「日新窟」を訪ねて 伊藤努

第483回 べトナム人に寄り添う都心の寺院「日新窟」を訪ねて 伊藤努

第483回 べトナム人に寄り添う都心の寺院「日新窟」を訪ねて

赤い鉄塔の東京タワーが間近に見える東京都港区芝公園の一角に浄土宗の寺院「日新窟(にっしんくつ)」があり、春が近いある日の午後、ベトナムという東南アジアの親日国に日ごろから愛着、関心を寄せる知人らと現地で落ち合い、寺院関係者に話を聞く機会があった。寺院の名称にある「窟」とは、寺の修行僧や学僧が寝起きする「学寮」という意味があり、日新窟がこの名称となったのは、江戸時代に天下を治めた徳川将軍家代々の菩提寺である近くの名刹・増上寺の学寮だったことに由来するのだそうだ。

名前を聞いただけでは浄土宗の寺院とは分からない日新窟の本堂は、都民の憩の場ともなっている芝公園とは日比谷通りを挟んだビジネス街にある高層ビルの2階にあり、入り口にある寺院の看板を見ただけでは、この近代的ビルにお寺が「入居」しているとは部外者にはまず分かるまい。その後で知ったのだが、この寺院には、日本の寺では当たり前の檀家もいないというのだから、一般人にとってはますます不可思議に思えてくる。

このように謎が多い日新窟に、かねてベトナムに関心を持つ親越派あるいは知越派を自称する面々が都合を付けて足を運んだのは、この寺院が日本で亡くなったベトナム人技能実習生や留学生を弔っていることを聞きつけたからだ。筆者らが訪ねた日はたまたま、日新窟の住職の吉水大智師(76)と、弟子で秘書役のベトナム人尼僧のティック・タム・チーさん(41)はベトナムなどでの法要を執り行うため「海外出張中」で、ご不在だったが、ご住職の長女でチー尼僧の活動を日ごろから公私ともに支援している日新窟寺務長の吉水里枝さんが筆者らの一行に対応してくださった。

名刺を頂戴して分かったのだが、吉水さんも上記の本名のほかに、「吉水慈豊」の名前を持つ僧侶で、チー尼僧が取りまとめ役を務める「在日ベトナム仏教信者会」の事務局長をされており、面談するうちに、日新窟がなぜ日本各地で生活する在留ベトナム人にとっての「心の拠り所」になっているかが少しずつ分かってきた。

日本では昨年の国会で、少子高齢化時代の到来に伴い今後ますます深刻化する労働力不足に対処するための一環として、外国人材の活用に道を開く入国管理法改正案が重要法案として審議されたが、その過程で、ベトナムなど開発途上のアジア各国からわが国にやって来た技能実習生らの若者が少なからず、過酷な労働環境の下で就労することを強いられ、自殺や過労死に追い込まれている実態がクローズアップされた。

ビルの2階にある日新窟の一室に設けられた礼拝堂には、異国の地で無念の死を遂げた100人以上ものベトナム人の名前が書かれた位牌がぎっしり並べられ、慰霊に訪れた多くの在留同胞が捧げた造花やお菓子、飲み物などの供物が所狭しと置かれていた。ベトナム人尼僧のチーさんは、在日ベトナム大使館から日本国内で亡くなった身寄りのない技能実習生や留学生らの情報連絡があるたびに、現地に駆け付けるなどして必要な手続きを代行しながら、葬儀の手配もしている。

希望を抱いて日本にやって来たベトナムの若者らがなぜ苦しい状況に追い込まれ、命を落とすような悲劇が相次ぐのか。多くの日本人は一部の報道によって、深刻な事態の一端を知るだけだ。日新窟を参拝した一行は、近く東京に戻る予定というチー尼僧にぜひとも会って、この問題での話をうかがうことができるよう吉水さんにお願いし、ベトナムとのゆかり、仏縁が深い都心の寺院の得難い支援活動に感謝の念を抱きつつ、冷たい雨が降り続く芝公園を後にした。
 

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