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第10回 ブット元首相の暗殺とパキスタン政局  直井謙二

第10回 ブット元首相の暗殺とパキスタン政局  直井謙二

第10回 ブット元首相の暗殺とパキスタン政局

パキスタンの政局や社会情勢がなかなか安定しない。隣国アフガニスタンでは、旧支配勢力でイスラム原理主義組織のタリバンが勢いを盛り返し、カルザイ政権を支えるアメリカに対するテロの脅威が増している。アフガニスタンを安定させるためにはパキスタンの協力が欠かせないが、そのパキスタンでは連日、野党支持者による大規模なデモが続き、爆弾テロが頻発するなど社会情勢は日増しに不安定になってきている。

今年3月中旬、チョードリー前最高裁長官の復職が決まった。2007年末に暗殺されたベナジル・ブット元首相の夫、ザルダリ現大統領は、野党指導者のシャリフ元首相や軍の一部、それに身内のギラニ首相からも非難されているが、チョードリー最高裁長官の復職により、大統領に対する汚職追及の可能性まで加わった。社会情勢不安や政局の混乱を憂慮して、アメリカもザルダリ大統領に妥協を迫っている。

パキスタンの混迷の始まりと言うと、およそ20年前、イスラム社会で初めて女性で首相の座に就いたブット首相の政治的デビュー当時を思い起こさせる。故ブット首相は初代首相だった父親のアリ・ブット氏を殺され、その後、かつての宗主国イギリスに渡り、欧米民主主義を学んで帰国、政治活動に携わったという点で、ミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんと似ている。独裁色を強める軍出身のジアウル・ハク大統領が暗殺された後、1988年に総選挙が実施され、ブット女史は初めての選挙で圧勝した。

まだ若かったブット首相はまぶしいほど輝いていた。【写真】 自宅で行われた記者会見に現れたブット首相はスカーフをかぶり、女性らしいしぐさが印象的で、この点でもスー・チーさんを連想させる。


その後、身内の汚職などで政敵シャリフ首相との間で政権の奪い合いが続いた。やはり軍出身のムシャラフ前大統領は1999年10月、クーデターを起こし、シャリフ元首相を政権の座から引きずり降ろした。筆者はこのクーデター直後、首都イスラマバードに入り、当時のムシャラフ陸軍参謀長のテレビ演説を注意深く聞いたが、早期に民政移管するという文言はなかった。

軍をバックにムシャラフ大統領の政権が続いた。内外からの民政を求める声に2008年初めに総選挙が実施されることになり、ブット元首相も亡命先のイギリスから帰国し、立候補した。20年前、民生を安定させた手腕に内外からブット元首相に再度期待が寄せられたが、遊説中に自爆テロが起き、凶弾に倒れた。核保有国であり、アフガニスタンをはじめ、イスラム社会への影響力を考えると、アメリカでなくともパキスタンの安定を望みたいところだ。イラクからの軍の撤退やアフガニスタン安定のテコ入れを前にしたアメリカのオバマ政権にとって、ブット元首相の暗殺は大きな痛手になってきている。


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