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〔11〕外国だった沖縄への旅行案内 小牟田哲彦(作家)

〔11〕外国だった沖縄への旅行案内 小牟田哲彦(作家)

〔11〕外国だった沖縄への旅行案内

日本国民が自由に海外旅行へ出かけられるようになったのは昭和39(1964)年のこと。高嶺の花とはいえ、ひとまず金と時間があればパスポートを取得して日本国外に遊びに行けるようになった。

だがその時点で、パスポートを持っていても行けなかった“外国”があった。第2次世界大戦終結後、アメリカの統治下に置かれ続けていた沖縄である。日米双方が本来は日本の領土であることを認めていたものの、日本の施政権が及ばず、外国旅行に類する手続きを踏まなければ自由に旅行できないという意味では、実質的に“外国”そのものだった。日本全国の観光地を網羅した『旅程と費用』(その後『全国旅行案内』に改題)という旅行ガイドブックには、与論島と沖縄本島との間に国境線が描かれた地図が掲載されていた(画像参照)。


同書の旅行情報によれば、日本本土に在住する日本国民が観光目的で沖縄を訪れる場合は、外務大臣が発行するパスポートではなく、内閣総理大臣が発行した身分証明書を所持しなければならない。この身分証明書は各都道府県庁で申請を受け付けており、申請時には沖縄入域許可の申請書も提出しなければならない。後者の申請は琉球列島米国民政府(USCAR〔ユースカー〕と略称された〕で審査される。さらに、予防接種証明書と外貨交換の手続きも必要とされている。

外国渡航らしいなと思わせるのは、72時間以内のトランジット(通過)ビザ(査証)発給制度に関する記述だ。沖縄を経由して別の国へ行こうとする場合は、上記の身分証明書では沖縄以外へは行けないから、パスポートの発給が必要になり、入域許可証ではなく通過査証を取得することになる。つまり、トランジットの場合は沖縄の滞在についても外国渡航とほぼ同じ手続きになるわけだが、これは、沖縄があくまでも本来は日本の領土であるとする当時の日本政府の立場と両立していたと言えるのだろうか。

本土から沖縄への渡航手段はフェリーか航空機を利用することになる。同書は日本の船会社による旅客航路を多数紹介しているが、航空便については日本航空と全日空のほかに、東京~那覇間にノースウエスト航空(現・デルタ航空)も定期便を飛ばしているのがアメリカ統治下の沖縄らしい。とはいえ、那覇から宮古島へは、日本航空傘下の南西航空(現・日本トランスオーシャン航空)が就航しているから、航空路線網が完全なアメリカ扱いというわけではない。ただし、那覇~宮古島間の航空運賃は「11ドル98セント」となっている。

これらの掲載情報は、あくまでも本土側の目線である。アメリカ統治下の沖縄側から見れば、日本本土への渡航手続きに関する情報は全く異なるのだが、そういうことは一切掲載されていない。ということは、同書は沖縄居住者の利用を想定していないことになる。そのこともまた、当時の沖縄が事実上“外国 ”であったことを何よりも物語っていると言えよう。

《100年のアジア旅行 小牟田哲彦》前回  
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